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阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「ハコブネ」吉原優子

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第51回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「ハコブネ」吉原優子

左手の痺れと、右頬に当たる、ざらついたタイルの感触で目が覚めた。

そこは白いタイルがどこまでも続いている、人工的な港か、巨大なプールのような場所だった。目の前にはグレーに濁った水が、海のように広がっていて、辺りは人の気配もなく静まり返っている。頭上に広がる薄いブルーの空は、プラネタリウムの天井のようで、どこか白白しい。

晴香は、自分がどうしてここにいるのか思い出せない。しかもこの不自然な空間に、どういうわけか、数分前に顔を合わせたばかりの見知らぬ男と二人きりである。

男は広い額と吊り上がった細い目が、某アニメキャラクターを連想させる。二十代半ばといったところだろう、晴香よりは幾分年下に見えた。

晴香がこの空間で目覚めたとき、隣には男がおり、その脇にはタブレット端末が置かれていた。

タブレット端末の画面中央には、木製の船のイラストが映し出されていて、その下には、十二種類の動物の写真が並んでいる。雌雄のペアなのだろう。すべて二匹ずつ写っていて♂と♀のマークがついている。その最後には、晴香の写真と、男の写真が、それぞれ一枚ずつある。人間の男女ではあるがペアとしては扱われていないようだ。

船の右下には0/17.という表示が付いている。その横には『スタート』の表示があるが、色が薄く、どうやら選択できないようになっているらしい。

「新世界の神に選ばれたんだ。これから次の世界に連れていく動物を決めるんだよ」

男が興奮した様子で、男自身の写真に指で触れると、男の写真が船のイラストの上に移る。続けて晴香の写真に触れると同じように晴香の写真が船上に並んだ。船の右下の表示は2/?に変わった。?/?になれば、『スタート』が選択できるのではないか、というのが男の予想だった。

「ねえ、でもこれって、どっちかしか船に乗れないんじゃない」

動物はペア八種類で十六匹、人間がどちらかでちょうど十七にできる。人間をどちらも乗せると、動物は一匹ずつにはできないから常に一多いか、もしくは足りないのだ。

男は慌てて、勝手にタブレットを操作し始め、次々に動物を乗船させた。

「待って!」

止めようと腕にすがった。男の言うシンセカイに行きたいわけでは決してなかったが、船に乗ることが、この空間から移動する唯一の方法かも知れないのだ。簡単にはあきらめられない。

「新世界の神に選ばれたのは俺だ。お前じゃない」

男は手に持っているタブレット端末を、晴香に触れさせるまいと、自分の胸に抱きかかえ、晴香を突き飛ばした。

「お前、降りろよ」

へたり込む晴香に、男がそう言い放った途端、唐突に晴香の記憶が蘇った。

晴香は動物園へ、生まれたばかりのキリンの赤ちゃんを見に行こうとしていた。

その途中に、高速道路の合流車線から黒い車が猛スピードで晴香の運転する車の前に入ろうとしたのだ。しかし晴香は道を譲らなかった。黒い車は執拗に晴香を追い回し、追い抜き、車を停車させて進路をふさいできた。そして、あの男が運転席から降りてきたのだ。

「お前、降りろ!」

男が叫びながら運転席の窓を激しく叩いているところに、後続のトラックが突っ込んできた。記憶はそこで途切れ、この場所で目が覚めたのだった。

「どうして? キリンが見たかっただけなのに」

晴香が思わずつぶやくと

「キリン? わかったよ。キリン乗せてやるから、お前が降りろよ」

「待って!」晴香が叫ぶのも構わず、男はタブレットを操作する。晴香の目前に砂嵐が現れて、やがて何も見えなくなった。

「晴香、聞こえる? 晴香」

気がつくと病室のベッドの上にいた。晴香の母が、必死の表情でのぞき込んでいる。

「あの男は、死んだの?」

「さっき息を引きとったらしいわ。でもあなたは責任感じなくていいのよ」

もちろん。と晴香は密かに思った。降りろと言ったのはあの男なのだ。責任など感じるはずもない。

病室では母が見ていたのだろうお昼の情報番組が流れている。女性キャスターが速報を伝えはじめた。

「さきほど入ってきたニュースです。小山動物園のキリンのつがいが、急死しました。このつがいには、三週間前に赤ちゃんが生まれたばかりで、話題を呼んでいました。詳しい死因は、まだ分かっていないとのことです」