『くせの治療院』 ―――先生。親御さん達から感謝のメッセージが沢山届いておりますよ。当院に預けられた患者達は、皆、以前よりも、母親や父親に素直な感謝を伝えるように変わります。拒食症の患者は見違えるように脂肪を蓄えております。大変な評判ですね。ああいう患者を治療する時の、秘訣を教えて頂けますか? ―――簡単だよ。「愛」だ。これについては掘り下げて話すことになるが……、私は人間の「癖」に着目したのだ。 癖が何のために存在するのか分かるかね? 分からない? まあこれは医学的な話になるが……私は癖の仕組みについて、解明したのだ。 貧乏ゆすりや、歯の片側だけで食べ物を噛む癖を考えてみなさい。あれはなんの為にするのかね? 決して、無意味な行動ではないのだよ。貧乏ゆすりは、身体が運動不足や冷えを我々に伝える危険信号といえる。後者も、片側の歯の異常を知らせている。それで、なんとかその不具合を解消するために、「癖」というものはあるのだ。実際貧乏ゆすりというのは身体に良い。 「精神治療と何の関係が?」 急いては理解を仕損じる、だ。この理解こそが私の理論のもっとも大事な部分なのだからね。 貧乏ゆすりは運動の代わりで、片側噛みは歯科治療の代わりだ。分かるかね? 我が治療院では、数多くの精神病患者が入院している。その多くが―――「自傷癖」をもっているのだ…。 お母さんへ。私は今〈愛の治療院〉のまっ白な個室でこれを書いています。とても不気味な部屋です。白いベッド、白い机、白いカーテン、一体どういうセンスがあったらこんな内装になるんだろう、と不思議になりますが、これには理由があるそうです。でも、その理由については又かける時に書くことにします。 この手紙は他の誰にも見せないで下さい。 お母さん、私をこの地獄から救い出して! 今日は今からカウンセリングがあるけど、あの場所で、嘘をつくのももう限界です。世の中で一番怖いのは、悪意をもった人間じゃなくて、自分が悪であるということに気がつかない偽善者なんだ。 お母さん、助けて! 君がここに入院してからもう半年になる。君は二度も脱走を試みたようだが、最近では大人しくなったようで、なによりだ。治療が成功している証拠だから、安心しなさい。私の愛に任せなさい。我々は君の親代わりなのだからね。 おや、震えているようだ。これはいけない。君には説明したね。貧乏ゆすりから分かるように、運動不足、冷えから来るのがふるえというものなんだ。君の日課メニューの運動の時間を増やすとしよう。一日三時間。 君の自傷癖や舌を噛む癖は、改善したようだね。しかし、爪を噛む癖や、貧乏ゆすりがまだひどい。君の心身を完全に癒すには、癖というものを根絶せねば。 「爪はもう噛んでない?」 いや、昨日の昼の下半身トレーニングの後に、廊下の隅っこで、爪を噛むのを監視員が確認しているぞ…。 助けてお母さん、家に帰りたい。ここに入院している人たちは皆、自分の「癖」をなんとか表に出さないように、注意して生活するようになります。 爪を噛むのはカルシウム不足。爪にはカルシウムが沢山含まれているから、爪を噛む癖は、身体がカルシウムを欲しがっている証拠。そんな風にあの人はいって、私は毎日専用の部屋で監視されながら、三リットルの牛乳、鮭の中骨、そんなメニューを涙目になりながら食べます。もう限界です。この白い部屋は〈カルシウムの部屋〉です。 もしこの手紙を見たら、すぐに警察に通報して下さい。そして、手紙を見せて下さい。でも、いくつか手紙を書いたはいいものの、送る方法はまだ分かっていません。 私は入院直後、「自傷癖がある」といわれて、こんな事をいわれました。 「自傷癖は愛の不足の証拠だ。君は悪くない。親が悪いんだ。なぜ手首を切ると思う? それは君の血液に、君の嫌いな親の血が流れているからだ。君は、親の血が流れる君の血液を、排出したいと思っている。どうか交換したい。だから手首を切る。自傷癖に必要なのは、親の代わりだ。これからは、私の事を父親だと思って過ごしてくれ」 あの人は、治療の一環だといいながら嫌がる私を抱きしめたり、それで私の自傷は収まるどころか、毎日爪で手首を掻きむしる程になりました。 おかしい、私の理論は完璧なのだ、とあの人はそう叫びながら、私を拘束しました。自殺願望のある患者を拘束することは、精神治療の場ではよくあることらしいです。 手足は動かせませんでしたが、この病院(病院と呼ぶのも間違えてると思いますが)では〈くつわ〉をはめないので、口は自由です。後で知った事ですが、ここでこうして拘束された人たちは皆、舌を噛んで、自殺しようとするらしいです。 それをみてあの人はこういいます。 ―――舌を噛むのは、身体が肉を、食事を求めているのだ。食事をうんと食べさせる必要がある…。 あの人は、死んだんですね。自殺ですか。事情聴取というのは初めてですが、私に分かる範囲なら話します。 そうだ、その前に、あの人の最期はどんなものでしたか。遺書があったんですよね。 なるほど、自分の女癖が許せず…ですか。あの人はよく、患者を抱きしめて、そのまま黙っている事がありました。十分も二十分も、愛の治療だといって。 本当に最悪な医者でした。 あれ、すみません。何故か涙が。泣く理由なんてないのに。 すみません、まずは私の親の事から話します。私は小さい頃から、親に抱かれた事なんか、全然ありませんでした…。 (参戦! 結果は不戦敗! 落選でした)
蜘蛛の