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第78回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「カーテンコール」森本久美

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作文・エッセイ
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第78回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「カーテンコール」森本久美

 目覚めると、知らない場所にいた。あたりには白い空間が広がるだけで、見渡す限り何もなかった。

「ここは、どこだ?」

 見たこともない情景に戸惑いながら、亮介はゆっくりと立ち上がった。どこかに道はないかと、目を凝らして見回していると、「こっちこっち!」と声がした。振り返ると、高校生ぐらいの女の子が立っていた。

「君、誰?」

「私?わかんない?。無理もないか。まあ、自己紹介は後にして、私はあっちの世界から亮介を迎えに来たの。」

「あっちの世界?迎え?って君、どうして俺の名前を知ってるんだ?」

 初対面のわりに、随分となれなれしいしゃべり方をする子だと呆れながら尋ねると、その女子高生は思いがけない事を口にした。

「まあ、私にとってはとっくの昔に『こっち』なんだけどね。亮介みたいに、突然死んじゃった人は『あっち』に行かれずに彷徨い続けることが多いから迎えに来たの」

「死んだ?俺が?」

「そう!亮介、あなた、死んじゃったの」

「まさか……冗談だろ?」

「そのまさか、なの。まあ、これでも読んで」

 そう言って女の子は亮介に新聞の三面記事を渡した。

『飛び降り自殺 通勤中のサラリーマン直撃』

 大きな見出しの横には「巻き添えで死亡した岩瀬亮介さん」の説明と見まごうことない自分の顔写真が載っていた。

「嘘だろ……」

「だよね、信じられないよね。でも、ここで納得してもらわないことには、こっちに亮介を連れて行くこともできないからさあ。見て、あなたの人生の幕は閉じちゃったの」

 女の子の指さす方向は、いつの間にか大きくて重厚な幕で閉ざされていた。

「幕の向こうがあなたの生きていた世界」

 信じられない気持ちでその臙脂色の幕をみつめていると、突然光沢のあるビロード地の表面に、喪服姿で祭壇の前に座る妻の夏美の姿が映し出された。夏美は泣きはらした目で亮介の写真を見つめていた。俺は死んでしまったのか?もう夏美には2度と会えないのか?亮介は夏美との最後の会話は何だったか、必死に思い出そうとした。通勤途中の事故ということは、その日の朝か?毎朝夏美は玄関まで自分を見送りに出てきているから間違いない。「いってきます」「いってらっしゃい。気を付けて」そう毎朝必ず……。そこで、亮介の思考は固まってしまった。思い出した。あの日は前日に口喧嘩をして……。亮介はよろよろと映像に近づいていく。あの朝が最後になるなんて。自分の愚かさを悔やんで、夏美の姿が涙で滲む。夏美、君は今、何を思っているのか……。

「死への準備期間がなかったあなたたちには、1回だけチャンスが与えられててね……」

 しばらく亮介と夏美の顔を夏美の交互に見つめていた女の子はぽつりぽつりと呟いた。

「去った者と残された者、2人の強い後悔の思いが重なった時……」

 亮介は息をのんだ。音もたてずに、幕がゆっくりと上がり始めたのだ。

「亮介。幕が上がるよ。カーテンコールだ」

 上がった幕の向こうには、見なれた我が家の玄関があった。あの日の朝だ。

「夏美!」

 亮介は家の中に向かってさけんだ。

 夏美はずっと祭壇の前から動けないでいた。突然消えてしまった夫。あの日の朝、前日にした些細な喧嘩のせいで、いつもなら何を押しても玄関まで出ていき見送っていたはずなのに。その日に限って言えなかった。「気を付けて」と。夫が出ていく気配は感じていたのに、つまらない意地で気が付かないふりをした。夫が亡くなったのは自分のせいだ。そんな気さえして泣き崩れる。

 あの朝に戻りたい。やり直したい。

 もう何日も眠っていなかった。朦朧とする意識の中で「夏美!」と自分を呼ぶ声が聞こえて、顔をあげる。亮介の声だ。夏美は自分が喪服姿ではない事に気づき、確信をもった。あの日の朝だ。戻ったのだ。よろめきながら声のした方へ駆け出すと、玄関に夫が立っていた。亮介はじっと夏美を見つめていたが、やがていつもの調子で言った。

「いってきます」

 ああ、夫はこの為に戻ってきてくれた。

「いってらっしゃい。気を付けて」

 涙で声が震えた。最後だということを除けば、いつもと変わらない朝。その愛おしい日常はこれで終わってしまう。亮介は振り返ると、ゆっくりと歩き出した。夏美の嗚咽が聞こえ、背中越しに、ゆっくりと降りてきた幕が、ふたりの世界を遮っていくのを感じた。もう決して上がることのない幕が。

(了)