第77回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「初恋」田村恵美子
ドラッグストアの出入り口から入ってきたキミに僕は目を奪われた。僕の中で何かが動いた。
肩まで伸びた黒髪は揺れるたびに照明の光を反射して輝いている。チェックのスカートに紺のブレザー、赤いリボンがよく似合っている。店の近くにある女子高校の制服だ。
僕の中で湧き上がるこの感情を、何と表現すればいいのだろう。僕はキミから目が離せない。
午後二時、お客はまばらだ。食品売り場から医薬品売り場へと店内を次々に移動するキミを、僕の目は勝手に追ってしまう。
華やかな化粧品売り場でキミの足は止まった。売り場の中でひときわ色鮮やかな口紅の棚の前に立つ。キミの唇には夕日のようなオレンジが入った薄い紅色が似合うはず。
夕日色の口紅をさしたキミの姿が僕の目に浮かんだ。その時、キミが僕の方を見た。
目をそらすことなんてできない。僕とキミは見つめ合った。ほんの一瞬だった。キミはさっと僕に背を向けてしまった。僕が考えていることが伝わってしまったのだろうか。
キミはもう僕の方を向こうとはしなかった。そして二分と経たないうちに、足早に店外へとキミは出て行ってしまった。
その日から僕はキミを忘れることができなかった。キミは僕の中で、美しいのカテゴリーに分類される。もう一度会いたい。一日中、キミのことを考えていた。
五日後、キミは僕の要望に応えてくれた。ドラッグストアに入ってきたキミを僕は見逃さない。店内をあちこちと歩くキミ、相変わらず制服が似合っている。
キミに見とれていると、不審な女の存在に僕は気づいた。その女はキミから少し離れた場所にいるが、時々、キミの様子をうかがっている。女の目つきが普通ではない。とても怪しい。僕はどうしたらいいのだろう。そんな女がいることに、キミは気づいていないようだ。
くるくると店内を歩き回り、しばらくして化粧品売り場へとキミは来た。あの女はキミから少し離れた場所でシャンプーを熱心に見ている。なんだ、気のせいだったのか。
僕は視線をキミに戻した。香水の棚に近づくとキミは左右に目を配った。そして、再び僕の目を見つめる。一瞬、僕たちは見つめ合う。僕の体は熱くなる。
キミは僕に背を向けると、一分もしないうちに出入口へ向かっていく。僕は目で追いかけるが、あっという間にキミは店外へ出て行ってしまった。キミの姿が見えなくなると、僕の中の一部が空っぽになったみたいだ。
出入口を見つめていると、キミの後を追うように、あの女が急いで店内から飛び出していく。嫌な予感がする。できることなら僕も追いかけたい。
予感は的中する。しばらくすると、あの女は、半ばキミを引きずるようにして店内に戻ってきた。あの女の両手に腕をつかまれ、涙をボロボロこぼしてキミは泣いている。
今すぐ駆け付けてキミを助けたいのに、もどかしい僕の存在。どれほど僕が声を張り上げたくても、自ら声を出せない。飛び出してあの女の腕を引きはがしたくても、ここから離れることができない。
ああ、キミの為に何かできないか。僕はキミを守りたい。僕の奥底から何か熱いものが湧き上がる。そうだ、僕にでもただ一つできることがある。それは自分の命を懸けなければできない。
これで僕は終わってしまうだろう。もう、二度とキミを見ることはできない。それでも構わない。あの女の注意を引くから、どうか上手く逃げてくれ。
ドラッグストアの店内に、けたたましいベルの音が鳴り響く。うっすらと煙が立ち込め、焦げ臭いにおいがあたりに漂う。
「火事だ! 防犯カメラが燃えている」
誰かの叫び声に店員が慌てふためき、数人のお客が逃げ惑う。消火器を持った店員が駆け巡り、サイレンを鳴らした消防車が到着してドラッグストアは一時騒然となった。
「不審な動きを感知して、万引き犯を見つけるようにAIに学習させた防犯カメラです」
落ち着きを取り戻したドラッグストアの事務室で、女性の警備員は消防署員に説明していた。
「何が原因なのか会社の方でもじっくり調べます。燃えたのがカメラだけで良かったのですけど、万引きした女子高生を一人、逃がしてしまいました。とんだ防犯カメラですよ」
そう言うと女性は長い溜息をついた。
(了)