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第75回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「悲しい結末」いとうりん

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作文・エッセイ
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第75回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「悲しい結末」いとうりん

 図書館に行く目的は、読書でも勉強でもない。ただ、あの子に会いたいだけだ。坂の上にある女子高の制服だ。艶のある長い髪とページをめくる細い指。笑顔はスイートピーみたいに可愛くて、そこだけ光が射しているように輝いている。

 僕はさえない高校生で、幽霊部員ばかりのパソコン部は中途半端、バイトは禁止で時間を弄んでいた。母に「勉強してこい」と追い立てられて行った図書館で、妖精みたいな彼女を見かけた。一人のときもあれば、数人で来るときもある。勉強したり本を読んだりしながら閉館まで過ごす。僕はといえば、勉強も手に着かず、かといって漫画以外の本を読んだことがない。ただただぼんやり、彼女を見つめる毎日だ。

 雨の日曜日、図書館は静かだ。今日の彼女は、袖にリボンがついた黒いブラウスと、くるぶし丈のジーンズを履いている。私服もいい。カチカチとシャープペンシルを鳴らして、無心で何かを書いている。僕は物理の教科書なんかを開いたけれど、試験前でもないのに勉強する気になれず、ぼんやり頬杖をついた。

 小さな女の子が、トコトコと僕のところに歩いてきた。手に絵本を持っている。

「おにいちゃん、これ読んで」

「えっ」周りを見ても僕しかいない。

「おうちの人は一緒じゃないの?」

 女の子は、何も答えず本を差し出す。仕方ないな。暇だし一冊ぐらい読んでやるか。それは「あかいくつ」というアンデルセンの童話だった。読んでみて驚いた。なんて残酷な話だ。子供に読ませていいのか、これ。死ぬまで踊る? 足を切断? 世界残酷物語か。

 あまりにショッキングな内容に呆然としていたら、女の子が次の本を持ってきた。「かちかち山」日本の昔話だ。題名くらいは聞いたことがある。読んでまた驚いた。壮絶な復讐劇だ。しかも復習の仕方がエグイ。タヌキの背中に火をつけて火傷させた上に、傷口に塩を擦り込むだと。鬼だ。ウサギは復習の鬼と化した。何だか僕まで背中がヒリヒリする。

 女の子は次に「ごんぎつね」という本を持ってきた。有名な童話だけど読んだことはない。読んでみるとこれがまた、何とも悲しい話で、おいおい、このオチはないだろうと思わず目頭を押さえた。悲しい。全米が泣いた映画より泣ける。童話の世界って凄いな。楽しい話ばかりだと思っていたのに、たった三冊で、ぼくの情緒は乱れっぱなしだ。

 顔をあげると彼女がいない。僕が童話に夢中になっている間に帰ってしまったようだ。女の子がまた本を持ってきた。しかしそれは「ダイアリー」と書かれた誰かの日記だ。

「あそこの机に置いてあったの。読んで」

 女の子が指さした机は、まさにさっきまで彼女がいた場所だった。じゃあ、この日記は彼女のもの?

「人の日記を勝手に読んだらダメなんだぞ」

 そう言いながら、気になって仕方ない。ちょうど栞を挟んだところだけ、ちらっと見ちゃおうか。見るだけ、すぐ閉じるから、読まないからと言い聞かせ、頁を開いた。

『6月20日(雨)今日の彼は、インディゴブルーのTシャツ。爽やかで素敵。子供に本を読むときの甘い声は、私の鼓膜をとろけさせる。この場所を失いたくないから、告白はしない。でもいつか、きっと』

 読んじゃった。えっ、もしかしてこれ、僕のこと? 確かに青いTシャツを着てるけど、インディゴブルーってどんな色? 本の読み聞かせもやっていた。甘い声かどうかはわからないけれど。あれ、もしかして両想い?

 頭の中がぐるぐる回る中、彼女が戻ってきた。青い顔で僕から日記を奪い取ると、乱れた髪をかき上げて睨んだ。

「読んだ?」

「読んでない。でも、ちらっとだけ見えた」

 彼女が僕の胸ぐらをつかんだ。

「彼に言ったらぶっ殺すからね」

「彼?」

 彼女の視線は、奥のスペースで子供たちに読み聞かせをしている図書館司書のお兄さんに注がれていた。あ……、インディゴブルーってあの色か。僕の青と全然違う。ひとつ賢くなった。なんて、そうじゃないだろう。失恋決定だ。彼女は大事そうに日記を抱えて図書館を出ていった。今日読んだ本の中で、いちばん残酷で悲しい結末だ。

 脱力して座り込むと、女の子がまた本を持ってきた。「マッチ売りの少女」児童虐待の話じゃないか。勘弁してくれ。これ以上悲しみに浸りたくない。

 日曜日の図書館は、雨音と、インディゴブルーの司書さんの優しい声に包まれている。読み聞かせが終わって戻ってきた司書さんに、女の子が纏わりついた。

「パパ、これ読んで」

 ああ、彼女も失恋決定だ。

(了)