阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「天井」ならのしかたろう
大学の英語の授業は、5月の連休明けからずっとズームを使ったオンライン方式だ。毎回先生がテーマと生徒同士の組み合わせを決めたあと、生徒をオンライン上の小会議室に振り分けて、ロールプレイをさせる。ぼくはこの一ヶ月ですっかりこのやり方に慣れた。今日みたいな大雨の日は、大学まで歩かなくて済むから、ありがたい。いつものように先生から「ふるさとの家族や学校について、パートナーとQ&Aをやってみて」と言われて、会議室のポップアッ指示をクリックした。
パソコンのモニターが会議室9に切り替わると、すぐに今日のパートナーが現れた。ショートカットヘアのメガネの女性だ。初顔合わせだなと思いながら、「森山です。よろしく」と言うと、相手は「岡田奈美です。よろしくお願いします。」と軽くおじぎをした。
「じゃあ、はじめようか。ぼくから質問するよ」と前置きなしで英会話をスタートさせた。ぼくはリアルでもオンラインでも、女の子と話すのは苦手だ。それを悟られないよう、なんでもないような感じで、質問した。
「ドゥーユーライクホームタウン?」
教室で話しかけるより、ちょっとだけ気が楽なのはモニター越しのせいか、それとも英語のせいか? お互い英語がそんなにうまくないけど、定型の会話なら続けやすい。
突然岡田さんが「え、やばい」と言い出した。「どうしたの?」
「頭の上に水が落ちてきた。雨漏りしてる~。信じられない。どうしよう。」
これは英会話どころじゃない。
「コーヒーカップかお碗で受けたら?」
「そうする」
彼女はすぐモニターから消えて、取っ手の壊れたコーヒーカップを持ってきた。少し画面が揺れて不安定だが、応急処置はうまくいったみたいだ。
再び英会話をはじめたが、三十秒もしないうち、また日本語に変わった。
「え~っ、今度はこっちのほうに落ちてきた」言うやいなや、彼女はモニターからすっと消えて、まもなく茶色っぽい洗面器を持って現れた。
水滴の音がぽとっ、ぽとっ、とはっきり聞こえてくる。
「これで大丈夫かな。今度は森山君の番よね?」
そうだった。次はぼくが彼女の好きな場所を聞く番だ。
「あ~、ほわっと……」
と言いかけたところで、ぶちっとモニターから彼女の姿が消えて、代わりに先生が現れた。
「森山君、ごめん、ごめん。君だけペアがいなかったね。ぼくが相手をするから、いいかな?」
「え?」
とっさにぼくは意味が呑み込めなかった。
「あ、あの、先生、ぼくは今、岡田さんと会話の練習をしてたんですけど・・・・」
今度は先生が怪訝な顔をして、
「森山君、うちのクラスに岡田さんなんていないよ。練習してたって・・? いや、待って。岡田さんって去年の、あの岡田奈美さんか・・・」
「はい、岡田奈美さんです。でも去年ってどういうことですか?」
先生は少し上を見ながら、つぶやいた。
「彼女は去年の夏、実家に帰省中、集中豪雨で死んだんだ。土砂崩れに巻き込まれて。」
なんだって。そんなばかな。ぼくは確かにさっきまで、モニター越しにしゃべっていたはず。「雨漏りがするって言って、洗面器で水滴を受けるのを見ましたよ。」
「ほんとに? 会議室には君しか映ってなかったぞ。」
その時、ぼくの首筋に水滴がぽとりと落ちて、思わず悲鳴をあげた。
「うわぁ」
天井を見上げると、雨漏りのしみが泣いていた。
(了)