阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「忘れ事」山賀忠行
「おきて」
朝起きると知らない男の子が立っていた。
誰だ
見覚えない顔だが幼稚園の制服を着ている。胸にはきちんと「こだま」の名札が。
私の息子か? いやそんなはずはない
息子は十年以上前にこの家を出たっきり一度も戻ってきたことはない。
迷子かな どうやって家に入ったのだろう まあいい 一人の生活は寂しいからな
私は布団から起き上がると台所に向かった。男の子はついてきた。朝ご飯を出してあげると男の子は喜んで食べた。
ここまでおいしそうに食べる子なんているんだな
男の子は食べ終わると「ごちそうさま」と言い、食器を流しに持ってきた。
「次はなにするの?」
「この後部屋の掃除でもしようかな」
「じゃあ手伝う」
そう言うと男の子はどこで見つけたのか使い古したほうきを持ってくるとそれで掃き始めた。
ほお ずいぶんと気が利くなあ
二人の掃除は想像以上に早く終わった。
しかしこんな小さな子を働かせ続けるのも気の毒なのでとりあえずテレビをつけた。
「そろそろいっしょにテレビでも見ましょう」
私がソファーに誘うと男の子は隣にちょこんと座った。
「何見る?」
「これ」
映っていたのはお昼のニュースだった。
こんな大人びたものを見るのか まあ好きにさせてあげるか
男の子はじっとテレビを見ていた。
そろそろ昼ご飯の時間かなと思うと男の子は
「昼ご飯ちょうだい」
と言った。
しっかりしてるねえ
昼ご飯を作ってあげると朝のようにおいしそうに平らげた。自分の作った料理を人に食べてもらうなんて久しぶりだった。
誰かとご飯を食べるのはやっぱいいなあ。
ご飯を食べ終えるとまた男の子はせっせと手伝いをした。一仕事終えるといっしょにニュースを見た。
夜になっても迎えが来る様子はない。
しかたがない
風呂に入れてやり、布団を引いて寝かせてやることにした。
かわいい寝顔だ 大人びているように思ったがやっぱり子供なんだな
「おきて」
次の日も男の子は私を起こした。
あれ、なんか少し大きいような
昨日より男の子は大きくなった気がした。
まあ成長期だからか
自分を納得させると布団から立ち上がり台所に向かった。また昨日と同じ1日が始まった。男の子はおいしそうにご飯を食べるとせっせと私の家事の手伝いをした。ある程度仕事を終えるといっしょにニュースを見た。
男の子の身長は毎日どんどん伸びていった。
しかし不思議なことに身長は伸びても顔は老けることなく、幼い顔のままだった。
やがて私の背も追い越してしまった。私は
自分より身長の高い幼稚園児を見上げては不思議な気持ちに包まれた。でもそんなことどうでもよかった。つまらない一人暮らしの生活から解放されたからだ。男の子は朽ちた切り株からのびた新芽のようだった。
とうとう男の子は天井に頭がつくほどの身長になってしまった。男の子は突然言った。
「そろそろ帰ります」
「――え……」
「ぼくは天井に頭がつくまでしか家にいられないのです。さようなら」
そう言うと男の子は走って玄関から出て行ってしまった。
え、ちょっと
とめようとしたが時すでに遅し。もう男の子の姿は見えない。また孤独な一人の生活に逆戻りだ。呆然として立ち尽くした。
──何分経ったのだろうか、急に脳裏に電流が走った。私は無意識に押入れの奥から埃だらけの息子の幼稚園の卒園アルバムを取り出した。将来の夢が目に入った。拙い字でこう書いてあった。
ぼくのおかあさんはうまれつきあしがよくないです だからはやくおおきくなっておかあさんをてつだってあげたいです
つけっぱなしのテレビがピーンと鳴った。ニュース速報だ。ニュースキャスターが慌てた様子で言った。
「速報ですっ 今日連続通り魔事件の主犯格、小玉死刑囚の死刑が執行されました、繰り返します、今日、連続通り魔事件の……」
(了)