阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「俺の島」出崎哲弥
「……ぉおい」
――誰かが呼んでいる。
俺は目をうっすら開けた。見知らぬ男のいかついヒゲ面が逆光で目の前にあった。
「おお、気づいたか」
男は両手で俺の頬をペチペチ叩いた。
俺は砂浜に寝ていた。寄せる波が腰から下を洗う。強い日差しに目がくらむ。男の手を借りて上半身を起こした。
「助かったんだ……」
大きく息を吸い込んだ。
「やっぱり日本人か。奇遇だな」
男にそう言われてやっと頭が動き始めた。(奇遇……そうか、故国に辿り着いたわけじゃないんだ。当たり前だな。遭難したのは南洋なんだから)
「漁師か?」
男が訊く。俺は頷いた。
「ここは?」
「俺もよくはわからない。勝手に北島と呼んでいるが」
「すると無人島ですか?」
「そうだ。俺たちがくるまでは、な」
「俺たち?」
「ああ、嵐に遭って貨物船が難破してな。三人、救命ボートで何日も流されてここに流れ着いた」
「それはいつごろのことです?」
「はっきりはしないが、もう三年にはなるだろう」
「三年!」
助かった喜びがたちまちしぼんでいく。俺は男を観察した。日焼けした顔に刻まれたしわが苦労を物語って見える。服もぼろぼろだった。四十代だろうか。いや実際はもう少し若いのかもしれない。なら同世代ということになる。
男に伴われて海岸沿いに歩いた。北島は見渡す限り岩ばかり。大きさはサッカーコートほどもなさそうだった。半周回ったところに住まいがあった。木と草で組み立てた掘っ立て小屋だった。
「水……は、もらえますか?」
急に喉の渇きを覚えて頼んでみた。小屋の裏に湧き水が出ていると男から教わった。澄んだ冷たい水で俺は喉を潤した。
腹が空いているだろうと、男は焼いた魚と芋をふるまってくれた。やっと人心地ついた。
「他のみなさんは? ……たしか三人、と」
「ここにはいない」
「え?」
「ほら、島が見えるだろ」
男はあごを海へしゃくった。
すぐ沖に同じくらいの大きさの島が三つ見える。北島を入れて四島を結ぶと正方形ができあがりそうだった。一辺二、三百メートルの、といったところか。男は順に南島、東島、西島と指し示した。
「あそこに?」
「そうだ。分かれて、な」
「なぜです?」
「……もともと俺たちはまったく馬が合わなかった。人と人だ、相性ってあるだろ? 乗組員の中でも三人は特に良くなかった。それが緊急事態でたまたま同じ救命ボートに乗った。そしてまずこの北島に漂着した」
「はあ」
「こんなときは何をおいても協力するものだ。はじめは三人ともそう考えた。救助を求める方法を考えたり、四つの島を探険したり。常に一緒だった。……けれど」
「うまくいかなくなったんですか?」
俺の問いに男はため息で答えた。
「幸運が訪れない限り、おそらくこの生活が日常になる。そう覚悟したあたりから遠慮がなくなった。メッキがはがれるみたいに。そうなるともうダメだ。もともと相性が悪い上に三人とも気が荒いからな。争いが絶えなくなって、ついには反目しあうまでに……」
「それで別々に住むことに?」
「ああ、そのままでは血も流れかねなかった。それだけは避けようと話し合った結果だ。ジャンケンで好きな島を選ぶことにした。俺がまず北島を、あとの二人が順に南島、西島に決めた」
「それっきり行き来はなしで?」
「いや、水は北島にしかない。植物は土のある南島にしか生えない。魚は不思議と西島でしか釣れない。だからそこだけは持ちつ持たれつ物々交換。あとは完全に没交渉だ」
そこまで聞いた俺の心に不安が広がった。
「あのぅ……私はこれからどうしたらいいでしょうか?」
恐る恐る男に尋ねた。
「どうしたものかな。三人の誰かと気が合えば共同生活も不可能ではないだろう。ただ、それが無理となると……」
「残った東島、ですかね?」
「そうなる、か。何もない島だが……」
俺は東島に目を凝らした。
(了)