阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「無人島」七藤純香
私は無人島で暮らしている。
特に不便はない。新鮮な水が沸くスポットを知っているし、食べ物だって問題なく調達できる。それに、襲い掛かってくるような獰猛な生き物は、この島にはいない。長いこと伸び伸びと生きてきた。私にはこの生き方が性にあっているのだろう。
そんな私でも、ふと寂しくなることがある。四六時中誰かと一緒にいるのはごめんだが、ちょっとじゃれあうくらいの仲間は悪くない。
ごく稀に、そんな仲間が流れ着くことがある。彼らの漂着を見逃さないためにも、私は毎日海岸沿いを散歩している。
今日は随分久しぶりに、砂浜に倒れる人影を見つけた。遭難者だ。どうやら若い男で、痩せてはいるが、その分太くしっかりした骨格が分かる。肌はよく日に焼けていて、元は壮健な海の男だったのだろうと思われた。
男の体はかろうじて砂浜に引っ掛かっているような形で、下半身は波に洗われていた。私は速やかに、波が来ない安全な場所まで彼を引きずり上げた。
それから、森の中へ入って食べ物を探す。彼が目を覚ましたら、とにかくまずは何か口にしなくては。
水分をたっぷり含んだ果実を選んでは、砂浜に運ぶ。弱っている彼でも大丈夫なように、集めてくるのは皮ごと食べられる果物ばかりだ。三往復目に戻ってきたとき、彼が上体を起こしているのが見えた。彼の服が風に翻る。もうすっかり乾いたようだ。
彼はこちらの気配を察して振り返った。ぽかんと口を開けて、そのまま固まる。
大丈夫か、と問い掛けるつもりで一歩前に踏み出すと、彼は慌てて一歩後退った。どうやらこちらを警戒しているようだ。無理もない。こんなどこかも分からない島で、妙な奴が近づいてきたら、警戒もするだろう。こんな反応には慣れっこだ。
私は集めてきた果実を彼の前に投げてやった。彼はそれらと私を忙しなく見比べる。
「……これ、俺に持ってきてくれたのか」
私は頷いた。害意はないと示すために、だいぶ離れた場所でゆったりと横になった。
彼はまだ警戒していたようだが、空腹と渇きには抗い得なかったようで、とうとう果物に手を伸ばした。そっと果肉を齧る。ゆっくりと咀嚼してから飲み込む。それから、もう一口。その後は、あっという間だった。彼は火が付いたように果物を貪り、私が集めてきた分を全てぺろりと平らげた。今まで出会った奴らの中でも、特に気持ちの良い食いっぷりだった。
「ありがとう。命拾いしたよ。でも、どうしてこんなことをしてくれるんだ?」
貴重で希少な仲間だからな。……とは、照れくさいから言わないが。
答える代わりに彼を森の奥へと誘う。彼は一定の距離を保ちながら、私の後についてきた。
距離を保っていたのが、いけなかった。地面から張り出した太い樹の根を越えるのに彼がもたつき、私と彼の距離がいっそう開いた。その瞬間、空から降りてきた大きな影が彼を襲った。影が羽ばたくと、空気のバリアでも張ったように周辺の樹々が大きくしなった。
私は全速力で彼らのもとに駆け寄った。猛禽の胴体を狙って飛びつく。奴はひらりと躱して舞い上がる。しばし上空からこちらの様子を伺っていたが、やがて諦めて飛び去っていった。
……普段、私には襲い掛かってくることはないのだが。
彼を見ると、神経質に辺りを見回している。そっと近づくと、今度は逃げることなく、反対に彼の方からもそっと身を寄せてきた。少し信頼を勝ち取ったらしい。とすれば、あの猛禽に感謝してもいいかもしれない。
それから、水場へと彼を案内した。彼はクジラのようにがぶがぶと飲んだ。これだけの勢いで食って飲めるのなら、それほど体力を消耗していたわけではなさそうだ。船から投げ出されてから、そう時間の経たぬうちに浜に流れ着いたのだろう。運の良い奴だ。
彼はすっかり気を許してくれたようで、寝床のシェアにも抵抗しなかった。寝食を共にし、狩りを教えた。小さな獣や鳥くらいなら、彼にも獲れるようになった。彼と一緒だと、いつもの散歩もわくわくするものになった。彼は日に日に元気を取り戻し、痩せていた体には健康的な肉がついた。
だから、そろそろお別れだった。
さっき、彼は旅立った。彼は最期に言った。
「俺は君の血肉となって生き続けるんだな」
こんなことを言われたのは初めてだった。
牙に引っ掛かる彼の肉を、舌で舐めとって飲み込んだ。
私は一頭きりになった。
また誰か、この無人島に来てくれないだろうか。
(了)