阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「揺れる」月古二
気がつくと平らな場所にいた。ここはどこだろう。地面は緑色で何だかおかしな感触だ。気のせいかユラユラと揺れている気がする。
私は歩いてみた。誰もいない。しばらく進むと行き止まりだった。いや厳密にはそこから先は急な断崖になっていて、とても前に進むことは出来なかった。
驚いたことに断崖の下は大量の水で溢れていた。透き通った青い水面が強い日差しを反射している。私は空を見上げた。雲一つない夏空。そしてそのまま視線を落とすと強い不安に襲われた。ここはどこだろう。何だか島みたいだ。どうしてこんな所に私はいるのだろう?さっきまで一緒にいた家族や仲間はどこに?何もかもが謎だ。その時地面がゆらりと大きく揺れた。
私はあてもなく歩き続けた。植物も動くものも何もない平地を。一通り歩き終わると私は失望のため息をついた。この土地はまん丸い形をしていて周囲はすべて大量の水に囲まれている、まさに離れ小島だということがわかったから。
太陽の日差しが強くて焼けるようである。私はその場に立ち尽くしていた。すると突然上空から妙な響きが聞こえてきた。甲高く耳障りな獣の叫びのような音。私は恐怖でパニックを起こしあたふたと走り回った。
その時だった、唐突に空から誰かが降ってきた。私はパニック状態のまま島の端まで逃げたが、やがてその落ちてきた誰かが気になりだした。そいつは島の中央で落ちてきたままちっとも動かない。私はゆっくりと足を動かしてそいつに近づいて行った。ピクリともしないので死んでいるのかと思ったが、私が顔を近づけると、そいつは唐突に頭を左右に振った。そしてそのままキョトンとしている。まだ若い青年だ。
「何ですか? 何を見ているのです? ここは? ここはどこです?」
青年もまた私同様何も知らなかった。突然この島に意味も解らないまま存在している。答えを持たずに。
私と青年は色んな話をした。どうも働いている場所も住んでいる所も同じ地区らしい。もしかしたら以前どこかですれ違っていたかもしれない。話の最後に青年が言った。
「しかしいつまでこうしているのです? このままじゃ干からびて死んでしまう。僕は嫌だ、そんなの。何とか脱出できないでしょうか」
「そう言うけどね、周りは大量の水だ。脱出しようにもどうしようもない」
「僕は泳ぎには自信があります。思い切ってあの崖から飛び込んでみたらどうでしょう」
そう言うと青年は島の端へ私を連れて行った。
「あっ! ほら、あそこに何か見えます。あれはきっと陸地ですよ! そんなに距離はありません。きっと泳げます! あそこまでたどり着いたら助けを呼んでまた戻ってきます!」
青年は私が止めるのも聞かずに崖の上から水面に飛び込んだ。ジャボン。そしてそのまま足を動かして泳いでいく。いい感じだ。どんどん青年の背中が遠ざかっていく。私は安堵した。あの青年はすごいと思った。しかしやがてそれは失望に変わった。陸地のような所にあと少しで着くという時に突然青年は動かなくなった。そしてそのまま水面にプカプカ浮かんでいる。波に揺られて。
それから長い時間が流れた。私は疲労と空腹でほとんど動けなくなっていた。きっとこのまま太陽に焼かれて死んでしまうのだろう。ああ、いったい私が何をしたというのだ、毎日毎日真面目に働いて、こんな事ならもっと遊べばよかった、こんなに突然、死がやってくるなんて、ああ、神様はいないのだろうか、絶望感が全てを覆っていく。もう、ダメだ。
その時だった。空が少し陰ったと思うと、一本の巨大な手が伸びてきて私を優しく包んだ。そしてそのままゆっくりと私を持ち上げてくれる。ああ、天にも昇る気持ちとはまさにこういう事なのだろう。
「まったく、ひどい事をするな」
父親は助けたアリを近くの木の葉にそっと逃がした。そこは彼の自宅の庭。芝生の端に子供用のプールが置かれている。その水面に洗面器が逆さに浮かべてあった。
「しかし子供ってのはホントに残酷だな。洗面器をプールに浮かべて、その上に捕まえてきたアリを放して観察するなんて」
と言いながらも父親は笑った。きっとそうしてアリを見守る事で自分が何となく偉くなった、神様にでもなった気でいたのだろう。無邪気と言えば無邪気である。父親は笑いながら庭を横切って妻と子供が待つ家に入ろうとした。その時、空から巨大な手が伸びてきて、父親を持ち上げた。
(了)