阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「完璧な犯罪」十六夜博士
計画通りに現金を奪うと、相棒のシンジと車を飛ばした。
「あいつ死んじまいましたかね?」
「いや、気絶させただけだ」
「捕まったら死刑ですかね」
「アホ。捕まることを考えて強盗が出来るか」
外は雨ではなかったが、じっとりとした空気が車内を満たす。しばらく俯いていたシンジが、「社会が悪いんすよね?」と、ボソリと言った。
一晩中、シンジと車を飛ばし、東京から遠く離れた、港町を眼下に望む山奥にまず向かった。故郷でもない見知らぬ土地ではあったが、何度か下見をしていたので、学校から自宅に帰るように無意識のうちに目的地へと到着した。茂みの中に車を突っ込んだ後、素早くシンジと周りの草木で車を覆う。
犯罪の痕跡をひとつ消した――。
シンジの手前、冷静を装ってはいたが、心の中は浮き足立っていた。だが、逃走に使った車を、仮にもこの世から葬った事で、自分たちが侵した罪の痕跡まで消えていくようで、胸のざわつきが少し減った気がする。車の痕跡が感じられなくなったことを再度確認して、山を徒歩で降りた。
港町に着くと、ホッとしたのか、腹が鳴った。そう言えば、何も食べていない。計画は完璧だと自負しているつもりだったが、自分たちの体のことは忘れていた。そのアンバランスさが不思議だった。
お調子者のシンジが、「腹減った」と騒ぎ立てなかったところをみると、シンジも人生で最大の緊張状態にあるのだろう。
ふと見ると、ラーメン屋があったので、腹ごしらえをすることにした。ラーメンと共に注文した瓶ビールで、まずは乾杯する。
「すげぇなぁ、五億円か」
ラーメンを作りながら親父がテレビに向かって言った。俺たちが起こした銀行強盗事件が報道されていた。
「犯罪には必ず痕跡が残る。必ず捕まえます」
報道に答えていた警察官が強い眼差しで宣言した。
ちょっとイラッとして、ビールをくいっと一口飲む。そうやって自動的に正義を着られる人間が憎かった。正義を着られない人間もいる。その理不尽さに腹が立つのだ。
この計画は何年も準備してきたものだ。
貧しい家に生まれ、社会の底辺をシンジと這いずり回って生きてきた。平等な社会? とんでもない。金が全てだ。そして、スタートラインで出遅れている俺たちは、真面目に働いたって永久に貧者であることを運命付けられている。元手のない俺たちが運命を変えるには、こういう方法しかない。
ラーメンを食べた後、港の横の磯に向かう。磯にある洞穴から、予め隠しておいたゴムボートを取り出し、無人島に向かった。この辺りは無人島が多く、波の静かな日ならば、釣り用のゴムボートで十分たどり着ける。
無人島には難なく到着した。用意しておいた小屋に向かう。用意していたというより、昔、人が住んでいた痕跡だ。地方の島は過疎でどんどん無人島になっている。そんな島が社会に切り捨てられた自分たちに見える。
「うわっ、すげぇー」
小屋に入ると、シンジが声を上げた。無人島で暮らすための道具、当面の食料、なんでも揃えていたからだ。
「さすがアニキ! 天才っす! ここでしばらくほとぼりを覚ませば、シャバに戻れるって算段ですね」
俺は頷いた。
あと少しで、完璧な犯罪が完成する。俺は俯き目を閉じて、呼吸を整えた。シンジのはしゃいでいる声が耳からスッと消えた。
シンジの首に腕を回し、グイッと引き寄せると、シンジをナイフで突き刺した。苦しまないように、急所に、鋭く、速やかに。人生で初めての感触。手が震えていた。
どれくらい経っただろう。
長い気もするが、実際はそれほど長くないはずだ。すでに時間の感覚はない。今日もシンジの墓に花を添え、手を合わせた。
何もないと思い込んでいた無人島には、人が生きていくもの全てがあった。金など必要ない、と知った時、金を得たことで、金の不要さに気づいた自分に苦笑した。そして失くしたものの大きさに愕然とした。
あの日、刑事が言ったことは本当だった。俺の犯した罪への後悔は決して消えない。そうである以上、完璧な犯罪は存在しない。
罪を償ってから、会いに行くよ││。
目を開け、立ち上がると、眼下に青い海が見えた。憎らしいほど綺麗だ。今度見るときは、実況見分の時だろうか。不思議と清々しい気持ちで、俺は海へと向かった。
(了)