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第72回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「マスクを外せば」いとうりん

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作文・エッセイ
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第72回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「マスクを外せば」いとうりん

 大学付近にやたらと貼ってある、指名手配犯の写真。一緒に歩く友達が立ち止まって、僕と指名手配犯を交互に見た。

「なあ、この犯人、ヨシキに似てねえ?」

「本当だ。眉毛と目元がそっくり」

 言われてみれば似ている。太い眉と一重の目。それ以来そこを通るたび、「おまえ、何やったんだよ」とからかわれた。「ハート泥棒」などとふざけていたのは、去年までの話だ。

 世界中に広まったウイルスの影響で、出かけるときはマスクをかけることが当たり前になった。マスクをかけて鼻から下を隠すと、あの指名手配犯と瓜二つになってしまった。一体どんな悪いことをしたのか、指名手配犯の写真は街中に貼られている。僕とすれ違う時、ひそひそ声で話す女性や、ぎょっとした顔で目を背けるサラリーマンに、「違いますよ」とマスクを外して見せるわけにもいかない。ただ足早に通り過ぎる。まるで怪しい人みたいだ。バイト先に警察が来たこともあった。誰かが通報したのだろう。マスクを外すと別人だからすぐに誤解は解けるけれど、こんなことが続くのは勘弁してほしい。ウイルスの感染はなかなか収まらない。マスクは必需品だ。いっそ前髪で眉と目を隠してしまおうと伸ばし始めたら、「前髪がウザい」と、美容師の姉にあっさり切られてしまった。そこで僕は考えた。眉を細くしたらどうだろう。自分でやったら絶対に失敗するから、姉に頼んだ。

「眉を細くするの? あんたも色気づいてきたのね。まあいいわ。やってあげる」

 姉は小さな眉用のはさみと毛抜きと剃刀で、丁寧に僕の眉をカットした。

「へえ、いいじゃない。男前になったわよ」

「そうかな」

「ねえ、髪の色も変えてみなよ。冒険できるのって、学生のうちだけだよ」

 髪の毛で冒険をしたいなどと思ったことはないけれど、姉はもうその気になっていて、半ば強引に、金色に近い茶髪にされた。

「やだ、イケるじゃん。ちょっとお母さん、ヨシキが渋谷系のイケメンになったよ」

 母が来て「あら本当だ。目が二重だったらジャニーズに入れるわね」と目を細めた。

「そうね。じゃあ二重にしよう」

「いや、さすがに整形は……」

「ばかね。整形しなくても二重になるわよ。そこら辺の女子高生、みんなやってるわ」

 僕の目は、テープで簡単に二重になった。

「あらヨシキ、あんた今なら彼女出来るんじゃないの? 彼女いない歴二十一年に終止符打てるかもよ」

「でもマスクは外しちゃだめよ。鼻から下は未開発ゾーンだからね」

「そうそう、マスクしたまま告白するのよ」

 母と姉にからかわれて「余計なお世話だよ」と言いながらバイトに出かけた。

「えっ、ヨシキ君? 急にカッコよくなっちゃってどうしたの?」

 バイト先のカフェで、僕は初めてモテた。女性客がひそひそ声で「あの人カッコよくない?」と囁いている。こんなことはもちろん初めてだ。そして僕はその日初めて、OL風の美人の客から「ねえ、仕事いつ終わる?」と熱い視線を投げかけられた。

「いいお店があるんだけど、この後どう?」

 もちろん「はい」と即答。お母さん、姉ちゃん、マジで本当に彼女出来ちゃうかも。

 彼女に連れていかれたのは、路地裏の小さなバーだ。こんな店入ったことがない。しかも常連しか行かないような店で入りづらい。尻込みする僕の背中を彼女が押した。薄暗い店内には数人の客がいた。彼女は常連らしく、マスターらしき男と気軽に挨拶を交わした。

「ねえ、あの奥にいるバーテンを見て。君に似てない? カフェで君を見たとき、ソックリだから驚いたわ。面白そうだから、会わせてみたかったの」

 奥にいるうつむき加減の男は、僕と似たような髪色で、似たような眉だった。

「あの人の二重瞼、絶対整形だと思うんだよね。私わかるんだ。会社にも、連休明けに二重になる人が結構いるのよ」

 髪を染めて眉をカットして目を二重に整形? それで僕に似ているということは、まさか、あのバーテン……。

 カウンターの椅子に座りかけたタイミングで、刑事が店に入ってきた。誰かが通報したのだろうか。刑事は指名手配犯の名前を叫んだ。思わず振り向いた僕と、焦った顔のバーテンを、交互に見ながら刑事が言った。

「えっ、どっち?」

 僕はすかさずマスクを外した。刑事は逃げようとするバーテンを羽交い絞めにして、忌々しい指名手配犯はようやく捕まった。

「ああ、よかった」と笑いかけた僕を見て、彼女がひどくがっかりした顔をした。

 ああ、お母さん、姉ちゃん、マスク外しちゃったよ。やっぱり彼女は、まだ無理だ。

(了)