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第72回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「マスクの使い方」佐名木理央

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第72回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「マスクの使い方」佐名木理央

 カプセルの中で目を覚ました。顔の前にあるモニターから、冷凍睡眠状態から目覚めたこと、経過観察のためにカプセル内にしばらくいなければならないことの説明があった。モニターは冷凍睡眠中に起きた時事を説明するビデオに切り替わったが、面倒なのでスキップのアイコンをタッチした。全身麻酔から目が覚めたときのように、思考は曖昧だ。僕は再び目を瞑った。

次に目を開けたときは病室のベッドの上だった。他に患者はいない個室だ。僕の目覚めを検知したのか、間もなくマスクを付けた看護師が病室に入ってきて言った。

「経過は順調です。明日の朝の検査で問題なければ、2、3日後には退院が可能です。」

 僕がわかったと言うと、看護師が付け加えた。

「あと、ビデオで説明があったと思いますが、感染のおそれがあります。病室からは出ないでください。」

 看護師が立ち去ると僕はベッドを降りた。素足を床に直接付けると、ヒヤリとした感覚が脳に伝わる。冷凍睡眠が長かったはずだが、立ち上がることもあるくことも問題なかった。カプセル内でリハビリがあったのかもしれない。看護師には止められたが、1階にあるコンビニに行くことにした。病室内が暑いのでアイスクリームでも食べたい。すぐに帰ってくれば問題ないだろう。ドアを少し開けて廊下を覗いたが人の気配は少ない。僕の部屋はナースステーションからも死角になっているようだ。気づかれないようマスクを付けてそっとコンビニへ向かった。

 コンビニの隣にある休憩スペースに座って買ったアイスクリームを、マスクを外して食べた。甘さと冷たさで目眩がしそうになる。すれ違う人々が僕をジロジロ見る。自販機やゴミ箱もあるので、飲食は問題ないはずなのだが。

 すると、点滴スタンドを転がしながら、老人が声を掛けてきた。

「あんた、その顔、なんでマスクしてねぇんだ?」

 僕は面倒だと思いつつ応戦した。

「ご覧の通り、アイスを食べているからですよ。あなたはマスクを付けていますし、僕も食べ終わったらマスクを付けるので心配いりませんよ。」

 どこにでも、こういう正義漢ヅラした老人はいるものだ。老人の声が大きいので、周囲の人々の視線が僕たちに集中した。僕は付け加えた。

「僕は10年冷凍睡眠していたので、病気を持っていませんし。」

 すると、老人は大きな声で怒鳴ってきた。

「ダメだ、今すぐマスクを付けろ。」

 老人は僕が隣の席に置いていたマスクを取り上げ、僕の口に当てがおうとした。

「ちょっと、やめてください。」

 僕は老人の手を振り払う。老人は体のバランスを崩し、掴んだ点滴スタンドとともに倒れた。僕の食べかけのアイスクリームも床に落ちてしまった。

 事の成り行きを見守っていた周囲の人たちが老人に駆け寄る。僕も老人を抱き起こそうとした。

「ダメだ、触るな。」

 僕の手が振り払らわれた拍子に、老人のマスクが外れた。僕は老人の顔に釘付けになる。その口の周りには赤紫色の斑点が広がっていた。

 別の人が僕の方に手を置いた。僕が振り向くと、中年の男がマスクを取り外しながら言った。男の顔にも赤紫色の斑点があった。

「病気を移す側かもしれないんだよ。」

 場が収まった後で聞いた話によると、僕の冷凍睡眠開始後に世界的なパンデミックが起きたのだという。また、現代の人々はそのパンデミックに対応するワクチンを接種済みなのだそうだ。ただ、ワクチンを摂取すると副作用で顔に赤紫色の斑点が必ず現れる。その斑点を隠すため、パンデミックが収まった後もマスクを付けることが常識となっている。

 しかし、その後にパンデミックウイルスの亜種が冷凍睡眠から覚めた人々から発見され、問題となっていた。したがって、僕のように顔に斑点がない人がマスクを付けていると騒ぎになるのだという。看護師が病室から出るなと言ったのにはこうした理由もあったようだ。

 僕は隣に座っている、先ほど怒鳴ってきた父に言った。

「それにしても、まさか、まだ生きていたとはね。」

「未来でお前に看取ってもらおうと思ってよ。お前のすぐ後に俺も冷凍睡眠に入ったのよ。お前が起きる予定の少し前に起きる時間を設定してな。」

「でも、せっかくの感動に再会したのに怒鳴る必要はないじゃないか。」

「そりゃ、危ないからよ。お前じゃなくて、周りの人がな。」

 父はコーヒーを啜って付け加えた。

「それにマスクしていると誰だかわからないから、ビックリしただろ?」

(了)