第72回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「パンサーマスク」坂倉剛
「青コーナー。挑戦者、パンサーマスク!」
リングアナウンサーの声に合わせて俺は片手を上げた。
「赤コーナー。チャンピオン、グレートグリズリー!」
やつが高々と両手を上げると、客席から大歓声が湧き起こった。腰には黄金色に輝くチャンピオンベルトが巻かれている。
覆面プロレスラー最強の座を争う〈マスクマンMAX〉。グレートグリズリーは八年の長きに渡ってマスクマンの頂点に君臨している。
だが、それ以前にその座にいたのはジャガーマスク――俺の親父だった。
八年前のちょうど今ごろ、第二回の〈マスクマンMAX〉が開催された。前年に初代王者となったジャガーマスクはシードされ、決勝に勝ち上がってくる選手を待ち受けた。
そのときの挑戦者こそグレートグリズリーだった。
当時まだ十四歳だった俺はリングサイドで観戦していた。親父の勝利を確信しながら。
決勝にふさわしく一進一退の攻防がくり広げられた。
試合開始から三十分が過ぎようとしたころ、両者はリング中央で組み合った。パワー勝負では親父が不利だ。身長こそほぼ同じ百九十センチ前後だが、体重八十五キロの親父に対し、グリズリーは百キロ超の怪物だ。
グレートグリズリーがジャガーマスクの背後に回った。
「ヤバい!」と俺は叫んでいた。
歓声と悲鳴で場内が騒然となる中、グレートグリズリーの必殺技〈投げっぱなしバックドロップ〉が炸裂した。ジャガーマスクの体が後方に思いきり放り投げられた。
頭の打ちどころが悪かったようで、親父はそのまま死んでしまった。
——以来、俺はプロレスラーになるべくトレーニングに明け暮れた。中学を卒業しても高校には進学せず、何人もの優秀なレスラーを育てたトレーナーの門を叩いた。
「待ってろよ。必ず仇は取ってやる」
復讐をちかった俺は歯を食いしばってハードな特訓に耐えた。十八歳で豹の仮面をかぶり、パンサーマスクとしてデビューした。
そして今、宿敵グレートグリズリーと対峙している。
間近で見るグリズリーはやはり大きかった。俺は百七十五センチしかないので、百九十センチの長身から見下ろされると威圧感があった。まさにヒグマだ。
「グオオオオッ!」やつが咆哮を上げて襲いかかってきた。
俺はとっさに突進をかわした。やつは大型レスラーだけに動きはそれほど速くない。逆に俺の強みは身軽さだ。
グリズリーの攻撃をまともに食らったら終わりだが、かわしていけばスキが生じる。そこが狙い目だ。
「ガアアアアッ!」
グリズリーが丸太のような太い腕をぶん回した。時間差ダブルラリアットだ。左腕、ややおくれて右腕。俺は両方ともかろうじてかわした。
空振りしていきおい余ったヒグマ野郎の巨体がぐらりと揺れた。チャンスだ! 俺はすばやくやつの背後に回り、太い腰につかみかかった。
「うりゃあ!」渾身の力でやつを抱え上げた。
バックドロップ。やつが親父を殺した技だ。無謀なのは分かっていたが、俺はこの日のために巨漢レスラーを相手に特訓を積んできたのだ。なんとしてもこの技で仕留めたかった。
マットにやつの後頭部が叩きつけられ、ズズンという衝撃が伝わってきた。俺はブリッジの姿勢を保っていられず、背中からマットに崩れ落ちた。頭もすこし打った。
熱狂した観客の叫び声が一体となって渦巻くのが遠く聞こえた。
「見事だ」失神しているのかと思っていたグリズリーのマスクから、くぐもった声が洩れた。「見事だ、健次」
俺は不意に本名を呼ばれて動揺した。
「まさか……親父……なのか?」
「あの試合で死んだのは私ではなく、グレートグリズリーの方だったのだ。バックドロップで放り投げられる寸前、私は彼の顔面にエルボーを食らわせた。それでバランスを崩し、技は不完全なものとなった」
「そんな……」
「打ちどころが悪く、彼は死んでしまった。そこで私は彼の残された家族のために筋力トレーニングで筋肉をつけて体重を増やし、グレートグリズリーになったのだ。ファイトマナーはすべて遺族に渡している」
「ジャガーマスクのままでもよかったじゃないか。どうして今まで隠してたんだ?」
「試合中の事故とはいえ、私は人を殺してしまった。おまえが『人殺しの息子』とうしろ指をさされることはさけたかったのだ」
(了)