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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「Go to Pluto」香久山ゆみ

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第70回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「Go to Pluto」香久山ゆみ

 カリカリカリ。鉛筆を走らせる。勉強しなきゃ勉強しなきゃ、両親を落胆させてしまう。

 ずっと一番だった。けれど、五年生の春に僕はトップから陥落した。次のテストも二番手に甘んじた。そして先日ついに四番となり。

「どうしたの。あなたが一番でないはずがない。だって、私達の息子なのだから」

 言い含め、叱責し、それでも成績の上がらぬ僕に、両親は溜息を吐くようになった。カリカリカリ。頑張らなきゃ頑張らなきゃ、一番でなければ自慢の息子として認められない。

 カリカリカリ。期待に応えなきゃ。

「なあにしてんの?」

 ひゃあっ! 突然背後から声を掛けられ、飛び上がる。振り返ると、革のジャケットにミニスカートの金髪の女が立っている。

「……ね、姉ちゃん」

「よ。久しぶりぃ」

 へらへらしながら僕の頭をぐしゃぐしゃ撫でる。うざい、その手を払いのける。会うのは一年ぶりだ。前回はピンクのパーマだった。

「パパもママも仕事で留守だけど」

「知ってる」

 金髪を掻きあげ素っ気なく答える。姉は高校卒業後、家を出た。僕はまだ一年生だった。当時姉にはバンドマンの恋人がいて、毎夜のように階下からは両親と姉の諍う声が響き、僕は布団に包まって聞こえないふりをした。そうして姉は家から出て行った。

 パパもママも、姉のようにならぬようしっかり勉強しろと言う。姉は真っ当な仕事に就いていない。世間に顔向けできないような生活をしている。それもこれも学校の成績が悪かったからだ。普段姉の話題が出ることはない。けれど、僕が勉強を怠けたり成績が落ちたりすると、両親は言う。あいつのような落ちこぼれになるな。あれはこの家の面汚しだ。

 だから僕は勉強しなきゃならない。パパとママの子供でいるために。だから僕はいま姉と対峙しているのが、居心地が悪い。だから僕はじっと手を動かす。カリカリカリ。

「今夜、流星群ね」

 姉が言う。へえ、そうなんだ。僕はそっぽ向いたまま答える。本棚の隅の天文図鑑はずっと触ってもいない。なのに成績は上がらない。もっと頑張らなきゃいけない。

「昔は一緒に天体観測したわね。……なんで喋んないの」

「……パパとママが……」

 馬鹿が伝染るからあいつとは口を聞くなと言ったのだ。姉が小さく息を吐く。

「あの人達も変わんないね」

 ねえ、知ってる? あの人達、冥王星が惑星から準惑星に降格した時も馬鹿みたいに騒いでた。勉強したのが無駄になったとかなんとか。冥王星自体は何も変わっちゃいないのに。一度ラベルを貼ると、付替えることができないのね。自分の目で見ないから。

 そう言うと、姉は「貸して」と、僕の手からビンを取った。先程からずっとビンのラベルを剥がそうと爪で削るが、剥がれない。詰替えたビンのラベルを貼替えておくように、ママに頼まれたのだ。だからちゃんとやらなくちゃ。また失望されてしまう。僕はビンを取り戻そうとした。だって姉にできるはずがない、あんなにゴテゴテ装飾した長い爪では。なのに、姉はひょいと身をかわし背を向ける。

「そんなに一生懸命勉強してどうすんの」

「え、えらくなる」

 姉の背中が小さく揺れる。

「えらいってどういうこと?」

「いっぱいお金を稼げること」

「なら、今はあたしの方があの人達より稼いでるわよ」

 そう言って振り返った姉がビンを放り投げる。慌ててキャッチする。ビンには「マーマレード」と真新しいラベルが貼られている。姉がニヤリと笑う。よく見ると、もとのラベルの上から一回り大きなラベルを貼付けただけだ。姉は僕の頭をわしゃわしゃ撫でて、一枚のチケットを渡すと、家を出て行った。

 その夜、僕はそっと家を抜け出した。想像だにしない両親は気付きもしないだろう。

 ライブハウスは満員で、音楽が会場に響き、人々は熱狂している。舞台の上で皆の視線を集め、姉は誰より輝いていた。自由だった。

 終演後、姉に送られ帰路に着く。喉が嗄れている。いつの間にか僕も一緒に歌っていた。しきりに流星群を探す姉の手をぎゅっと握る。

「あの、さ」

 姉が視線を向ける。

「おれ、姉ちゃんがパパとママのことを、あの人達、って言うのすごく嫌だ」

「……うん、そうだよね。ごめん、分かった」

 それきり黙ったまま二人で手を繋いで歩いた。姉は僕を玄関先まで送り届けると、家には入らずまたライブハウスへ引き返していった。「パパとママのことよろしくね」と言って。

 流星群は見えなかったけれど、雲の切れ間から顔を出した満月がきれいだった。

(了)