阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「欠けたお皿」西方まぁき
「あぁ、美味しかった……」
ポカポカと陽の当たる縁側で食後の休憩。
至福の時である。
きれいに舐めた白い陶器のフードボウルは私専用のものだ。
青いマジックペンで「ミミ」と書かれた丸いラベルが貼ってある。
「ミミのお腹、ポテポテだな」
餌の量減らさないとなと呟きながら、男が横たわる私のお腹を触る。
「そんなとこじゃなくて、首回りとか、もっと気持ちのいいとこ、さすってよ」
目で訴えてみるが、通じるはずもない。
避妊手術をしてから、体が重くなった気がする。
なんでかわからないが、気が付くと、太っていた。
獣医は、ホルモンバランスが崩れてどうとかって言ってたけれど。
私だって、好きでこんなふうになったわけじゃない。
人間の都合で、発情しないから、飼いやすくなるからと、強制的に手術をされたんじゃないか!
「ちぇ、これっぽっちか」
スマホの画面を見ながら男が舌打ちをする。
インターネットの動画投稿サイトに私の成長記録を載せているのだが、最近、再生回数が伸び悩んでいるそうだ。
それに比例して男の手元に入るお金も減るらしい。
つい数か月前まで、男は走り回る私を撮影する為にスマホを持って追いかけていた。
最近は寝てばかりいる私を見下ろして溜息をつく。
「ちょっとは、撮れ高、考えてくれよ~」
そんなこと言われても、今さら子猫には戻れない。
猫の成長は早いのだ。
翌日、男が段ボール箱に知らない子猫を入れて帰って来た。
痩せてボロボロに汚れた茶トラのメスだ。
不安そうな声でニャーニャー鳴いている。
「捨てられていた子猫を保護しました……っと」
男はスマホに動画のタイトルを打ち込み、段ボールの中を撮影している。
「ノミだらけだからシャンプーしないとな」
子猫を浴室へ連れて行く。
子猫の絶叫がシャワーの音でかき消される。
シャンプーしている様子も、ドライヤーで乾かす様子も、ちくいち撮影される。
私の時とおんなじだと思った。
翌朝、男は「縁が欠けた黄ばんだお皿」にキャットフードを盛り、私の前に置いた。
ふと見ると、新入りが、昨日まで私が使っていたフードボウルに盛られたウェットフードをガツガツと食べている。
「ミミ」と書かれたラベルは剥がされ、赤いマジックペンで「らぶ」と書かれたハート型のラベルに貼り替えられている。
男はスマホを手に身を低くして、その様子を動画におさめている。
私はアングルに入らない位置でぼんやりと眺めていた。
数日後、子猫がいなくなった時の男の慌てようといったら大変なものだった。
「らぶ! らぶ! らぶちゃ~ん!どこに隠れているんだ~い!」
いくら探したって無駄なことだ。
なぜなら、子猫は既にこの家から脱走したのだから。
男は気付いていないが、私は鍵がかかっていない縁側のガラス戸を脚を使って開けることなど、とっくの昔にマスターしている。
ほんの少し開けといてやれば、子猫は簡単に脱走することができる。
こっそり教えてやったのさ。
あと数か月すると、痛~い手術を受けさせられることを。
ただでさえシャンプーでびびっていた子猫は自ら逃れる道を選んだ。
その日から、私のご飯は再び陶器のフードボウルに盛られるようになった。
「らぶ」と書かれたラベルは剥がされたが、当面「ミミ」と書いたラベルを貼るつもりはないようだ。
また、近いうちに、どこかで子猫を調達してくるつもりなのかもしれない。
新入りが来た時点で、また「欠けたお皿」に逆戻りだ。
男は知らない。
どんなに飽きられ、雑に扱われても、私は自らの意思でここにとどまってやっていることを。
(了)