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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「せ、先生……」藤村綾

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第68回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「せ、先生……」藤村綾

 好きと単純にいえた学生時代。あたしは中学三年生のとき国語を教えてくれていた先生を好きになった。三十一歳だったから十五歳のあたしとは十六歳差だった。ひどく大人に見えた。よく考えてみればまだ三十一歳。今のあたしからしたら子どもだ。国語は大の苦手だったけれど先生のためにいやまあ自分の矜持のためにがんばってクラスの真ん中か真ん中よりも上をうようよと彷徨っていた。別に聞くほどでもないことでも「先生、これって、」と教科書を持って先生のところへ行き質問を重ねた。その横顔がとても整っており綺麗な稜線をあたしはひっそりと目で追った。先生との近距離はこうやって何かを質問する以外方法はない。だからこの時間がとても貴重に思えた。こうやって先生への想いは積もっていき夏休みのある日、先生のうちの電話番号を職員室で盗みることができ暗記をしてその足でトイレに駆け込んで手の甲に電話番号をメモをした。ドキドキした。電話番号がわかっても別にどうってことはないとはわかっていてもなぜだかそのとき先生との距離が少しだけ縮まった気がした。剣道部の顧問だった先生はダットサンという赤い車に乗っていてその裏に防具やらを積んでよくどこかの体育館に練習に行っていた。これは友達が剣道部だったので教えてくれた情報だった。友達がけれど先生をやけに嫌っていた。

「あいつさ、生徒を贔屓するんだよね。やんなっちゃうし」とか「もうなんか鬼。あたしさ倒れるかと思ったもん」とか。先生にまつわる情報は決してあまりよいものとはいえなかった。剣道部かぁ。あたしも入部していたらよかったなぁ。とぼそっと呟いた言葉に友達が反応し「なになに。なんでなのさー」と食いついてきたから、あっいや、ほらあたし帰宅部だったからさ。なんか剣道って青春って感じじゃない? と笑ってごまかす。はぁ? なにいってんの? 友達は半笑いになって、青春ってウケしと付け加えて、まじでウケるとまたいって大げさに笑った。友達に先生が好きになってしまったことを伝えようとしたけれど青春という単語に異常反応をした彼女にはいってはならない気がしていえなかった。あたしは先生のうちに公衆電話から電話をかけた。携帯電話もない時代。

『ガチャン』と十円玉が落ちる音とともに「もしもし」という男の声が聞こえてくる。はっと息を飲み込んで受話器をつい下ろしてしまった。心臓が口から出そうで五十メートルを一気に走ってきたようにバクついていた。あたしいったいなにがしたいのだろう。しばらくの間公衆電話の前にぼんやりと立っていた。夏の七時はまだ明るい。空はしかし夜の準備を始めていてはぁーっと天を仰ぎこれで最後だという思いを込めてまた受話器をあげた。

「はい」

 やや警戒した声が出てこれは先生の声だとすぐにわかった。

「もしもし? もしもし?」

「……、せ、先生、ですか?」

 セミの声がしてあたりがうるさい。聞こえているのかが気になった。なにせ声が小さかったから。

「えっとぅ。だれですか? 生徒……? かな? 」

 先生は明らかに困惑の声をにじませていた。先生は続けた。

「どうした? 何か相談事か。誰だ? どこにいる?」

 矢継ぎ早な質問には一個だけしかこたえることができなかった。

 どこどこまできていただけませんか。

 今いる場所を震える声で告げて電話を切った。

 先生はけれどすぐにきた。なにせ先生のうちの近くから電話をしたのだ。最初あたしを認めたとき先生はあまりびっくりしていなくてあたしの方がびっくりした。

「なんなんだよ。もう。てゆうかなにをしてるの?」

 口調はもはや先生ではなかった。普通の大人の男の口調だった。

「なにもしてません」

 ええっー。先生はかなり困惑状態でため息をはいた。ひとつ。

「お前うちどこだ? 送るわ」

「結構です」

 どうして今先生はここに私服でいるのだろう。それも短パンにタンクトップとい無防備な出で立ちで。

「じゃあ、帰るぞ。俺は」

 あたしは黙っていた。異空間にでも迷い込んだ気がして。帰るぞ。用がないならと付け足しなんだそれとやや怒っていた。

「せ、先生が、す、好きなんです」 

 夢ならきっとここで覚めるだろう。けれどまるで覚める気配などはなく先生の顔は能面になっていた。

「告白か」

 笑いながらそう認めた先生は「お前はじゃあ俺になにをして欲しいんだ?」といいさらには「今はもう先生と生徒ではない。黙っていたらいいし。お前の好きにしていい」とまでいう。

 抱いて欲しいです、あ、違う、抱きしめてください。それだけでいいです。なんだか胡散臭いなぁこのセリフはなんて思いなが先生のそばに近寄る。先生はしょうがないなぁという具合であたしをそうっと抱きしめた。先生の体からは香水のような柑橘系の匂いがした。セミがジージーとうるさく鳴いていた。これって夢なのかな。先生はあたしの頬をつねって「もうこんなことはしないこと」といいながら歯に噛んだ。まさか先生が抱きしめてくれるなんて。嘘でしょ? ねぇ、先生。

 あたしは夏風邪を引き一週間ほど寝込んでいた。

 長い夢だったようだ。けれど今でもリアルに憶えている。先生のあの温もりや優しい低音の声。セミがジージー鳴いていたということまでも。夢だったのか現実だったのか今でも定かではない。けれどあのときの恋は無垢で純粋な恋だった。不毛な恋をたくさん経験した中でもぶっちぎりに一番で輝いていたのだ。

 先生に会いたいな。今なにをしているのだろう。

 もうすぐそこに暑い夏は待機をして待っている。

(了)