阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「常夜鍋」十月
「実は先生も一人が好きなんだよなぁ」
小学五年生の頃、クラスに馴染まず孤立していた私に、咎めるでもなくそう言ったのは担任の中山先生だった。私は少し驚いた。
「みんなで仲良く」「絆」「お友だちは大切に」「一人ぼっちは寂しい」「友情」
そうしたお題目を否定するのは、罪であるかのように思っていた時代。一人ぼっちも悪くない、と言う大人がいるとは思わなかった。
だが、その言葉は私の救いとなった。別に苦手な人たちと無理して一緒にいなくていい休憩時間は一人で本を読んだ。放課後は家でお菓子や料理を作った。寂しくも辛くもなく、羽が生えたように気楽だった。私は一人が好きなんだと気付いたのだ。
ぶっきらぼうで、特別に人気のある先生ではなかった。だけど中山先生は大人になった今でも唯一名前を覚えている恩師である。
それ以降「一人」は私の人生のテーマになった。一人暮らし、一人旅、一人飲み、一人遊び。「寂しくないの?」と聞かれれば「全然」と答えた。それどころか世界にはもっと一人向けサービスが必要だと気付き、仕事に活かせないか考えた。それがこの「シニア向け・お一人様料理教室」の始まりである。
「本日は一人用土鍋を用いて常夜鍋を作ります。常夜鍋とは、ほうれん草と豚肉を使った簡単な鍋です。簡単に手順から説明します」
私の説明を、参加者は静かにメモに取る。クラスの九割は、定年退職後の男性だ。
男性向け料理教室の需要は年々高まっている。定年後の夫婦円満の為に、いまや最低限の家事スキルは必須だし、熟年離婚や妻と死別した男性の平均余命が優位に低いことは統計上明らかになっていて、それは炊事スキルなどの生活維持能力がないことも一因と言われている。生涯独身を貫く人も増えてきたが、現役時代は外食で済ませていた食事も、自炊すれば健康も守れて、節約にもなる。
別に肉じゃがや鯖味噌は作れなくていい。ぱっと作り、食べ、洗い物も少ない。手軽な一人料理を学べる場所が求められていたのだ。
料理教室は4、5人のグループワークで進めることが多いが、このクラスは一人につき長机一つの完全個人作業だ。各机にカセットコンロがある。水場は教室の後方と前方にそれぞれ2箇所。簡単なメニューなら、それで事足りる。常夜鍋はシンプルすぎて他の料理教室ではまずお題目に上がらないだろう。毎回そんなメニューだが、評判は上々である。
「偶数テーブルの皆さんは薬味の準備からはじめましょう。大根の皮を剥き、摩り下ろします。包丁はこう持ってくださいね。奇数テーブルの皆さんはほうれん草を流水で洗います。根元に、このように十字に切り込みを入れると、根元の土、砂が綺麗に流せます」
皆、ただ静かに作業に入る。私は一人一人の手元を見ながら口や手を出すのは最低限に、適度な距離感で見守る。
「次は、お鍋に水を1カップ。1カップとは200CCのことです。そこに料理酒を50CCほどと、昆布を入れてください。火をつけて、沸いて来たら昆布を取り除き、切ったしいたけと、お豆腐を入れます」
豚肉はスーパーでしゃぶしゃぶ用のパックを買えば、特に手は加える必要は無い。ほうれん草の準備が出来たら、作業はほぼ終了。
あとは鍋でさっと火が通し、大根おろしと味つきポン酢で食べる。七味を振ってもいいし、ほうれん草にちょっぴりバターを落とすとビックリするほど美味しい。〆にうどん玉を入れればお腹も満足。洗い物は鍋と箸、包丁とまな板だけ。みんな無言で作業し、無言で食べ、無言で片付けたらおしまいである。
最初は、こんなので教室と言えるのか! とクレームがくるかも、とドキドキしたものの、リピート率は高い。
「先生、ありがとうございました」
片付けを終え、皆簡単なアンケートを記入して帰って行く。「今日も大満足」「こういう講座を待っていた!」と言う意見を読む度、私は孤独が好きな中山先生を思い出すのだ。
「山田さん」
名を呼ばれて振り向くと、今日初参加の男性が一人、立っていた。懐かしむような、微かな笑み。どこかで会ったことがあるような、と思った瞬間、私は驚いて目を見開いた。
「もしかして、中山先生ですか?」
「久しぶりだなぁ。元気そうでなによりだ」
先生はそう言って、わははと笑った。
「お久しぶりです。……どうして、ここに?」
「いや、たまたま見つけて参加したら、見知った顔が教壇にいるからなぁ、驚いた」
妻を二年前に亡くした中山先生は、同居していた娘が結婚したので、今年から一人暮らしになったのだと言った。
「そうですか。それは寂しいですね」
「いや、それが全然。気楽でいいもんだ。だが総菜にも飽きてな。これで一人飲みが楽しくなるよ。ありがとうな、先生!」
(了)