阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「スパルタ教師」清本一麿
「せ、先生ごめんなさい。許してください」
甲高い声がして、うつむきながら校庭を歩いていた京子は振り返る。同級生の哲夫が先生に右手をつかまれ、ねじり上げられていた。
「先生、痛い! 離して!」
「校則違反は絶対許さんと言ったはずだ」
ああ、登校した早々、これか。高まる心音。京子は二人の元へ走り寄る。
「やめてあげてください、先生」
「なんだと?」
先生は京子をじろりとにらみ、言う。
「校則第九条、生徒は教師に逆らってはならない。私に逆らうのなら、お前も校則違反だ」
「そんなつもりじゃありません」
京子は哲夫の腕を見やる。背中に回された腕は、ぎりぎりと音を立てそうだ。哲夫はいかにも痛そうに顔をしかめている。
「でも……哲夫君の腕が折れちゃう!」
「そうか。ではこれでどうだ」
先生は哲夫の腕を離し、髪の毛をむんずとつかんだ。
「痛い痛い痛い!」
哲夫が悲痛な声で叫ぶ。
「校則第二十三条、前髪は眉毛にかかってはならない」
先生は校則をすべて暗記している。京子はそれを知っていた。
「校則校則って、規則のことばっかり! 先生、少しは私たちのことも考えてください」
京子が心の底からそう言うと、先生は落ち着き払った声で答えた。
「校則がすべてだ」
心が鉛のように沈んでいく。やはり、先生は私たちのことなんか考えてはくれない。ただ校則を守らせたいだけなんだ。
他の生徒たちも、騒ぎを聞きつけやってくる。先生は全く意に介さないかのように、
「こい! その頭、丸坊主にしてやる」
と、哲夫をひきずっていく。
「イヤだぁ! やめてください先生!」
哲夫はばたばたと腕を回してもがく。しかし先生の力は強い。いくら抵抗しても、校庭に波線のように引きずられる跡が描かれるだけだった。
「先生やめてください!」
京子はまた先生の隣に駆けていく。祈るように両手を握り、先生に懇願する。集まってきた生徒たちも、
「先生やめて!」
「やりすぎだよ先生!」
と声を上げる。すると、
「だめだだめだ」
先生の声の調子がワントーン高くなる。
「だめだめだめだ」
さらにワントーン。
「だめだだだめだ、だめだっだだだだだだだ」
「おい、様子がおかしいぞ」
周りで様子を見守っていた生徒たちから心配げな声が漏れる。
「だだだだだだだだだだだだだだ」
「だだだ、しか言わなくなっちまったぞ」
先生の手から力が抜け、哲夫がどさり、と地面に落ちる。
「ちぇっ、なんだよ」
哲夫は両手をついて立ち上がる。
「いいところだったのに」
足の砂を払うと、固まってしまった先生の顔を残念そうに見上げる。先生はミケランジェロの彫刻みたいにぴくりとも動かない。それから先生は「ピー」という甲高い音を上げ始める。
「またか。おい、京子」
哲夫が苦々しげに言う。京子は先生の元へ近づき、手を伸ばす。先生の後頭部をぱかっと開くと、燃料タンクのメーターを確認する。
「ガス欠だわ」
やれやれ、という声が校庭に響く。
「惜しかったなあ。本当に、本物の、スパルタ教師みたいだったのに」
「ああ、それにしてもH‐05型はやっぱり激しいな」
「うん。一度は稼働禁止になっただけあるね。おい、誰かはやく燃料を持ってこいよ」
京子は肩を落とし、先の新型ウイルス大流行のことを思う。初めてウイルスが確認されたのが二年前。それから一ヵ月も経たないうちにパンデミックが起こり、ものすごい感染力であっという間に世界中へ広まった。若年層はほぼ無症状なのに、年齢が上がると致死率ほぼ百パーセント。
結局、この世界に大人は一人も残らなかった。子供たちは仕方なく、一度稼働したが廃棄された、このようなロボットを大人がわりに使うしかなかった。
先生が発する電子音が鳴りやまない。
大人がいない世界。初めの頃は、なんてすばらしい世界だろうと思っていたけれど……。
京子は、長く深いため息をつくと叫んだ。
「ねえ、早くしてよ。誰か早く先生動かしてよ!」
(了)