阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「もう一度ピクニック」広都悠里
別れた彼女から「あなたの家にバスケットを忘れていると思うんだけど」と連絡が入った。
「バスケット……?」
すぐに思い出した。籐のバスケットにサンドイッチや果物を詰めてピクニックに行くのが夢だったと、かなり本格的な可愛らしいバスケットをオレに見せて張り切っていたことがあった。
物入れの奥から引っ張り出してみたら案外重い。何か入っているようだ。取り出して蓋を開けたら付箋のたくさんついた「サンドイッチの本」が入っていた。わざわざ本なんて見なくても切った具材をパンに挟むだけじゃないか、と思いながらぱらぱらめくった。
「バスケット、あったよ。いつ取りに来る?」
「今度の土曜日は、どうかな?」
「わかった。持って行くから外で会おう。十一時ぐらいにあの公園でどうかな」
あの公園、と言っただけで彼女はすぐにわかったようだ。
雨が降ったら嫌だなあと思いながら朝早く起きて天気予報をチェックした。別れた恋人と雨の再会、なんて湿っぽい展開はバスケットに似合わない。からりとよく晴れた青空の下で「今日もピクニック日和だね」と返すのが理想的だ。
約束の時間に間に合うようバタバタと家を出た。強い日差しの中に冷たい空気が混じっているが紅葉にはまだ早い。気の早い銀杏が少し色づいているかもしれないな。
「ごめん、待った?」
「ううん。ちょっと早く来すぎちゃった。公園なんて久しぶりだから」
「これ、バスケットの中に入っていた本」
オレはサンドイッチの本を鞄から出して彼女に渡した。
「あっ。これもあなたの家に忘れていたの? じゃあ、ばれちゃったね」
「あの時はサンドイッチを作るのにずいぶん時間かかるなあって思ったけど」
「まあ、確かに手際は悪かったかもね。待ちくたびれたあなたは随分機嫌が悪かったし」
「今思うと、あれは絵にかいたようなピクニックだったよな」
結実は笑い出した。顔を少し傾けて笑うから長いまっすぐな髪がさらさら流れて少し顔を隠すのが勿体ない、折角の笑顔なのに、と昔と同じことを思ってどきりとする。
「そうだよ、だって私、絵にかいたようなピクニックをやりたかったんだもん」
ふっと笑顔をこわばらせ「そういうの、あなたは好きじゃないってなんとなくわかっていたのにむりやりつきあわせちゃってごめんなさい」と下を向いた。
「あの、これ」
なんといっていいかわからず、バスケットを差し出す。
「ありがとう」
受け取った彼女の目が大きくなる。
「これ、重いんだけど。開けていい?」
オレが頷く前にもう彼女は傍らのベンチにバスケットを置いて、宝箱を開けるようにそうっと開けた。
「からのバスケットを渡すのも能がないだろう? だから」
うつむいたまま顔をあげない彼女に不安になる。
「良かったらランチを一緒にどうかなと思って。どんな気持ちでどれだけ時間と手間かけて作ってくれたのか、考えたこともなかった。サンドイッチのことだけじゃないよ。夜に来て、夕ご飯を作って待っていてくれたり、休日にお昼御飯を作ってくれたり、そういうのをいつの間にか当たり前みたいに思うようになってたなあ、って。ピクニックの思い出だってどうせなら最高のものにしてあげたらよかったのに、ごめんな」
「おいしい、って言ってくれたよ」
言ったけど、心からじゃなかった。オレはもっと感謝して味わうべきだったんだ。彼女がどのサンドイッチを作ろうか本をめくって悩んだこと、あせりながら必死で作ったこと、誇らしげにバスケットを開けた気持ち、そんなものを何一つ感じず考えずに言った「おいしい」だったことを後悔している。
「じゃあ、いっしょに食べよう」
「良かった。いらないって投げつけられたらどうしようかと思った」
「そんなこと、するわけないじゃない。こんなにきれいでおいしそうなのに。でも、意外だな。こういうの苦手だったでしょ?」
「大人になったんだ」
ほっとした。今更何なの、無理だよと断られても仕方がないと思っていたのだ。
食べ終えたら何か変わるだろうか。何も変わらないかもしれない。でも多分、さよならだって今ならいとしさと感謝を込めてきちんと言えると思うのだ。
(了)