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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「夕立の最中に」吉岡幸一

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作文・エッセイ
結果発表
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第64回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「夕立の最中に」吉岡幸一

夕方になり突然激しい雨が降りだした。キッチンにいた妻は、あわててベランダに飛びだして洗濯物を取りこんだ。さっきまで晴れていた空はまっ黒な雲が覆い被さり、大粒の雨が地面をたたきつけている。

ここはマンションの三階でベランダには軒下があったのだが、雨が斜めから降ってきたせいか、乾いていた洗濯物も外側に干していたものは濡れていた。

「あら、いつの間に帰ってきたの」

妻はリビングに夫がいることに驚いた。

「実は転勤が決まったんだ。一ヶ月後には新しい町に赴任しなければならないんだ」

夫は前振りもなくいきなり言った。

「家を買ったばかりじゃない。いやよ、私はついていかないわよ。それに娘だって来年は中学受験なんだから、新しい学校なんて行けるわけないでしょう。断れなかったの」

「それができれば苦労しないよ。いいよ、俺ひとりで行くから。会社の近くに安いアパートを借りて住むから」

夫は取りこまれた洗濯物の前にいくと、一枚一枚丁寧にたたみはじめた。

「濡れているんだからたたまないで。せっかく乾いていたのに、雨が急にふりだすから」

「濡れていないのだけ、たたむよ」

夫はあきれ顔の妻を無視するように、乾いている洗濯物を選んでたたんでいった。

娘が小学校から帰ってきた。帰ってくるなりランドセルを投げると、洗面所からタオルと取ってきて髪の毛を拭きながら戻ってきた。

「傘を持っていかなかったの」

妻はあきれたように言った。

「だって、晴れていたから傘なんていらないと思ったのよ」

「受験生なんだから、風邪なんてひかないでよ。これからはお母さんとふたり暮らしになるんだからしっかりしてよ」

妻はいらだちながら事情を説明した。娘は目をパチパチさせながら聞いているが、お父さんについて行きたいとは言わなかった。

「そうなんだ。お母さんとふたりか」と、空模様を気にしながら言っただけだった。

……夫はリビングに立ったまま、ベランダで洗濯物を取りこむ妻を見つめていた。激しい夕立が町の音を消していた。

「あら、いつの間に帰ってきたの」

妻は洗濯物を手に抱えたまま驚いたように聞いてきた。

「実は転勤が決まったんだ。一ヶ月後には新しい町に赴任しなければならないんだ」

「家を買ったばかりだけど、賃貸にだせばいいよね。新しいからすぐに借りても見つかると思うわ。すぐに引っ越しの準備はじめないといけないわね」

「来年は娘の中学受験だろ。いっしょについてくるなんて無理じゃないのか」

「なに言っているのよ。家族でしょう。家族はいっしょに暮らすものなのよ」

妻は床にひろげた洗濯物から乾いた物だけを選んでたたみはじめた。

「手伝おうか」と、夫が言うと妻は「乾いたものだけをたたんでくださいね」と、嬉しそうに答えてかすかに笑った。

娘が小学校から帰ってきた。ランドセルをそっと床におくと、洗面所からタオルを持ってきて濡れたランドセルを拭きはじめた。

「傘を持っていってよかった。雨に濡れて風邪なんかひきたくないから」

「来月にはお父さん、よその町に転勤することになったの。お母さんいっしょにいくつもりだけど、あなたもついていってくれるかな」

妻は、娘の意思を尊重するように優しい口調で聞いた。

「そうなんだ。新しい友だちを作らないと……。どんな町だろう。楽しみだな」

「希望の中学の受験ができなくなってしまうけど大丈夫なの」

「また新しい希望先を探せばいいだけだから」

娘は引っ越しをすることを喜んでいた。

……夫はリビングに立ったまま洗濯物をベランダから取りこむ妻を眺めている。

ベランダの先には視界を遮るほどの大粒の雨が降っている。にわか雨だからすぐに止むことが頭ではわかっていたが、永遠に降り続いていそうな気がする。

これから転勤になったことを妻に告げなくてはならない。妻はどんな反応をするだろうか。夫には予想がつかない。娘にしてもどう思うのか想像ができない。

家族がついて来ようが来まいが転勤はしなければならない。できれば家族と離ればなれで生活をしたくない。

「俺についてきてくれ」

最初に言おう。気持ちを聞く前に言おう。

夫は洗濯物を取り込む妻の姿をみながら思う。はるか遠くの空はすでに雨がやんで、太陽のひかりが雲のすき間からもれている。

(了)