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阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「駅前留学」矢野薫

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第59回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「駅前留学」矢野薫

アメリカの辺りを探検し終えた私。いつも帰国したときには虚無感にかられてしまう。そして思い出すのはあの日のこと。

これは私が学生だった頃の話。

その頃、巷では駅前留学という語学教室が流行っていた。元々流行りものに目がなかったことと、初めての海外旅行から戻ってきたばかりだったことも相まって、私は駅前留学することに決めた。

早速、最寄りの駅へ向かったが、どこを探しても見当たらない。コマーシャルではどこにでもあるようなことを言っていたのに。文句言ってやらなくちゃ。

最寄りの駅から3つ先の駅前のビルの中に看板があるのを発見し、勢い込んでビルの階段をのぼった。そのビルは妙にみすぼらしく、エレベーターもなかったのだが、私は駅前留学の看板を、やっと発見したことで周りが全く見えなくなっていた。もう少しよく観察していればと、あとになって後悔するのだが。

扉を開けると、人の気配は全くなく、これもまたコマーシャルに裏切られた思いだったが、ここまで来たのだ。帰るのもしゃくだった。

「すみませーん!」

返事はない。誰もいないのかしら?

怒りのバロメーターが上がろうとした瞬間、奥から「ふぁーい」と、間の抜けたような返事があった。奥から出てきたのは、白のブラウスに紺のベストとスカート、腕には黒の腕カバーを付けた、ザ・事務員といったような出で立ちの女性だった。

「なにか?」

のんびりしていた時間を壊されたとでも思ったのだろうか、剣呑な響きが気になったが、もう後戻りはできない。

「入会したいのですが」

「ああ、入会ですか。では、こちらに記入してもらっていいですか」

事務員が差し出す用紙に個人情報を記入しようとして、ある部分に目が留まった。

「あのー、すみません。これって・・・・・・」

「なんですかぁ?」

「これです。これはなんですか?」

事務員は、私が指示した個所を面倒くさそうにのぞき込んだ。

「ああ、うちで扱っている外国語講座ですね」

「いえ、それは分かっているんですが、この、アバ・・・アバチェ・・・アバチェリヒキ語? これは?」

「アバチェリヒキ語です」

「そのアバなんとかってどこの言葉ですか?」

「アバチェリヒキ語です。知らないんですか?」

知ってて当然といった感じで聞いてくるので、知らないとは言えず、

「あぁ、あれですね。知ってますとも。えーっと、あれはどこでしたっけ?」

「アメリカの北の方にある国ですよ。今注目の国ですよ。ニュースにもなってますが」

全く記憶になかったが、元々ニュース番組など見ないので、そのせいかもしれない。

「これから新しく語学を学ぶのであれば、アバチェリヒキ語がおすすめなので、うちでは入会金無料でやらせてもらってますね」

無料。なんて素敵な響きなのだろう。

「そうなんですね。じゃあ、アバチェリヒキ語でお願いします」

ひととおり申込書類を書き終えたのを確認すると、

「はい、では十万円いただきます」

「えっ?」

「十万です」

「えっ? さっき無料って」

「あぁ、それは入会金で、十万は月謝ですね」

「月謝? 月に十万もするの!」

「そんな訳ないじゃないですか。アバチェリヒキ語、一年分の月謝の前払いと事務手数料ですね」

と、ちょっと小ばかにしたように言われたので、さすがにムッとした。

「じゃあ、アバチェリヒキ語辞めます」

「もう無理ですね。ここに署名されてるので」

申込書には小さな文字で、署名後のキャンセルはできません。とあった。

「分かりました。カードでもいいですか」

「もちろん!」

受け取ったカードの処理を行いながら、

「でもちょうど良かったです。今なら入会金なしで、アバチェリヒキ語の第一人者になれますよ。もし何かあった場合、マスコミに引っ張りだこ。月謝分なんて、あっという間に回収できますね」

「第一人者って?」

「だって、アバチェリヒキ語、習得した人今まで誰もいませんから」

そう、誰もいないのだ。

未だに私は、アバチェリヒキ語を話す国を探している。