阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「渇き」久野しづ
深夜、目が覚めた。五十を越えたあたりから、夜中にトイレに起きることはいつものことだった。用を足した後、冷蔵庫をのぞいた。炭酸水を飲みたかったが、あいにく切らしていた。ならば、麦茶をと思ったが、麦茶もほとんど残っていなかった。気をきかせてお茶を沸かしてくれる人は、この家にはいないのだ。
仕方なく、水道水を飲もうとした。氷があればと思ったがなかった。もう師走なのだから、水道水も冷たく感じるだろうと期待した。だが暖冬のせいか、やはり生ぬるい。
キンキンに冷えた炭酸水が飲みたくて、近くのコンビニへ向かった。ところが、コンビニには正面から軽自動車が突っ込んでいて、それどころではなかった。私は呆然と立ちつくした。
「大変なことになっていますね」
と声をかけられた。知らない人だった。この騒動の野次馬だろう。私は「ああ」とあいまいに返事した。ノーメイクの部屋着姿で人と関わりあいたくない。
「コンビニで何か用でしたか」
その人は続けて聞いてきた。仕方なく、炭酸水を買いにきたと答えた。すると、一緒にお茶しましょうと言う。見た目、三十代のOLだろうか。
「もう喫茶店も開いてないでしょうし」
「ファミレスなら開いていますよ」
彼女はにこにこ笑っていた。
――もしかして、私を困らせて面白がっているの。
そう疑いたくなった。
「こんな遅い時間ですし、あなた、明日お仕事なんじゃないの」
と遠回しに断った。しかし。
「はい、仕事です。でも若いから徹夜でも平気です」
その後も何度も断わり続けたが、彼女のあまりのしつこさに折れた。
結局彼女の車に乗り、ファミレスに行くことになった。当然、近くのファミレスへ行くのだと思っていたのに、車はどんどん私の家から遠ざかっていった。私は不安になって尋ねた。
「あの、どこのファミレスに行くんですか」
「あたし、この間彼と別れたばかりなんです」
質問と答えがかみ合わない。
「結婚まで考えていたんですよ、あたし。笑っちゃうでしょ、フフフフフフ」
ステアリングをきる横顔は悪魔のような笑みを浮かべていた。
「……」
私の不安はどんどん膨れ上がっていった。と同時に、のどの渇きを思い出した。そのとたん、不安と比例してよけいに水分が恋しくなった。
――無事に帰れますように。
こういう時だけ神に祈る。普段は全く信心深くないのに。それに早く何か飲みたい。ああ、私はいつだって欲求ばかりだ。
ようやく、見知らぬ町のファミレスの駐車場に車は入った。どんどん先に行く彼女を追うようにして、私は店の中に入っていった。
彼女は次から次へと注文していった。深夜のこともあるだろう。店員が謝りにきた。
「あいにく、切らしておりまして」
それに、彼女の怒りが爆発したようだった。
「どうしてないの!私、お客様よ。この女は」
彼女の怒りは私に移っていった。
「旦那に食わせてもらって、三食昼寝付きなのよ。今時、不公平じゃない」
女はわめきちらすと、すっくと席を立って外へ出ていった。車が急発進する音が聞こえた。どうやら、彼女は私のことを見知っていたようだ。だけど、勘違いしている。
「あなたが思っているほど、恵まれてはいないわ。いろいろあって離婚するのに。あなたはまだ潤いを持っているじゃない、その肌にもその髪にも」
テーブルに置かれたお冷やを、私は一気に飲みほした。