阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「真夜中限定の恋」海見みみみ
飛取(ひとり)は三十五歳にして独身、というより恋人いない歴=年齢の男だった。未だに実家暮らしで浮いた話もない。趣味はタヌキに似た愛犬ポコの散歩くらいだ。
「オレにも彼女の一人でもできたらな。まったくみんな見る目がないよ」
鬱屈した思いをポコにグチる。するとポコが足に頬をすり寄せてきた。
「オレの魅力をわかってくれるのはポコ、おまえだけだよ」
これからもポコと居られれば、それでいい。飛取はそう諦めつつあった。
その日の晩。ポコにグチったら、余計に人の温もりが恋しくなった。飛取は一人、個人経営の居酒屋に入ると、カウンターに座り、ビールでツマミを流し込む。こんな時、となりに誰かいたら楽しいんだろうな。心の中でもグチる飛取。そんな時だった。
「お隣、いいですか?」
振り向くと、そこには女性の姿があった。可愛い系で丸い顔が愛らしい、大学生ぐらいの女の子。
飛取は一眼で恋に落ちそうになった。
「は、はい。どうぞ」
飛取は必死で女性に答える。周りを見ると、まだ席は他にも空いていた。なぜわざわざオレのとなりに? 飛取は混乱する頭で考える。
「あの、ここってオススメとかありますか?」
と思ったら再び話しかけてくる女性。当然飛取は慌てた。
「い、今の若い子にはホッピーなんて珍しいかな? なんて……」
「なるほど、それではホッピーを一つ」
女性のオーダーを聞き、すぐさまホッピーを用意する店主。ホッピーを一口飲むと、女性は笑みを浮かべた。
「ホッピー、おいしいですね」
満面の笑みに赤く火照った頬。あっ、好きだ。飛取は完全に恋に落ちた。
それから飛取は毎日同じ居酒屋に通った。そこには必ず女性、螺勲(らくん)さんの姿がある。
二人は毎晩真夜中まで酒を飲み交わし、談笑した。最初はオドオドしていた飛取も、今では冗談混じりに会話を交わすことができる。飛取の冗談に螺勲さんはいつも笑っていた。
少しずつ近づいてくる距離。真夜中限定の恋は飛取の心を熱くさせた。
螺勲さんと出会って一週間目の夜。飛取はある覚悟を決め、居酒屋へ訪れた。カバンの中には銀のペンダント。飛取はこれをプレゼントして、螺勲さんに告白するつもりなのだ。
少し待っていると、螺勲さんが店に入ってくる。でもその表情はどこか暗い。疑問に思いながらも、飛取は螺勲さんを迎え入れた。
「今日、実は大事な話があるんです」
「奇遇ですね。実は私も話が」
これはまさか逆に螺勲さんからの告白か。飛取は思わず息を飲む。
「それではお先にどうぞ」
螺勲さんに話を振る飛取。どんな言葉が飛び出すか、飛取はドキドキとした。
「……今日でもう、このお店に来られないんです。遠くへ引っ越すことになって」
予想外の言葉。飛取は自分の手が震えていることに気づいた。
「どちらへ引っ越すんですか?」
「もう飛取さんとは、会えないところに」
飛取は察した。引っ越しなんてウソで、螺勲さんは飛取に別れを告げに来たのだと。それが悲しくて、悔しくて。飛取はそれでもほほ笑みを浮かべ、カバンからペンダントの入った包みを取り出した。
「これ、受け取ってくれませんか?」
「いいんですか? 私なんかに」
「引っ越しの餞別ですよ」
「……では喜んで」
螺勲さんは箱を開けると、中からペンダントを取り出した。早速ペンダントを首にかける。
「素敵。一生の宝物にしますね」
そう口にして笑みを浮かべる螺勲さんは、本当に愛おしかった。
螺勲さんは翌日から、本当に居酒屋へ姿を見せなくなった。真夜中限定の恋は、終わりを告げたのだ。
失恋から早一週間。飛取は立ち直るために、今朝は早くに起きた。ポコと一緒に散歩へ出かけようとする。しかしポコは犬小屋の中で、グッスリと眠っていた。
「最近すっかり寝坊助になったなぁ」
飛取は笑う。だけど飛取には気づいていないことが三つあった。ポコが実は犬ではなくタヌキであること。螺勲さんにあげたペンダントを、ポコが首から下げていること。そして、ポコの目に涙が浮かんでいることを。