阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「検索してはいけない」常田あさこ
決してインターネットで検索してはいけない言葉がある。ホラーやオカルトやグロテスクな情報にはできるだけ触れないようにしているから実際にどんな言葉が並んでいるのか知らないが、そういった類の言葉とは別に、決して検索してはいけない言葉がある。別れた恋人の名前だ。
ひとりぼっちで誕生日を迎えた直後、深夜特有のテンションのせいもあって、出来心で検索した。同姓同名の他人ばかりが表示される中、今もあの人が住んでいるであろう街の名前と合わせて検索することで本人にヒットした。インターネットの海を泳いでいる間に身についた高い情報リテラシーが裏目に出てしまった。
実名登録のSNSで見つけた家族の写真。あの人の隣で笑う、私も知ってるあの子。私たちが別れて一年ほど経った頃、偶然に街で出会ったあの子は、思わず息をのむくらいに痩せていて、脚に大きなアザがあった。目を合わせないで話す様子を見て「DV男とでも付き合ってるのかな」と思った。
本人の情報を見つけられなければ「きっとどこかで元気にしてるよね」程度のぼんやりとした感想で済んだところを、隣にいるのがあの子だと認識できる程度には解像度の高い画像を見てしまったせいで、心に鋭い痛みを感じる。
あの人があの子を殴ったの?
あの人は私には一度も手を上げなかったし、感情的になることもほとんどなかった。やさしい人だと思っていたけれど、もしかしたら私に対して興味も執着心もなかっただけで、あの子のことは愛してるから殴ったのかもしれない。
それとも、あの人があの子をDV男から救い出して守ったの?
あの人はいつも私の意見を尊重してくれたけれど、そのたびに突き放されたような気になった。対等なパートナーと言えば聞こえはいいけれど、彼にとって私は守るべき対象ではなかったということ。あの子のことは守りたいから結婚したのかもしれない。
妄想と「たられば」の世界で考えて結論を出したところで答え合わせができるわけでもなく、頭に浮かんでくるあれこれを振り払いたくて目を閉じれば、大好きだったあの人の笑顔が鮮明に浮かんで、まぶたが腫れるから泣きたくないのに涙を止められない。
幸せだった時間は確かにあったのに、全て嘘だったような気がして、でもそんな気分にさせたのは、ほかでもない自分自身で。自己責任だってわかっているけれど、私がこんな気持ちでいることをあの人は知らないんだと思ったら、自分がかわいそうに思えてきて、被害者ぶるのは楽だから、うっかり流されてしまいそうになる。
何か他のことを考えようとして、ひとりの同級生を思い出した。有名人がかつての同級生と再会するテレビ番組を見るたびに、自分だったら彼に会いたいと思っていた男の子。中学生にしてはやや小柄で色白。どちらかといえばジェンダーレスな見た目の彼は、成績優秀で品行方正な生徒だった。
彼は私の憧れの人だった。甘酸っぱい恋心だとか付き合いたいとかいう次元ではなく、天上人に対する畏敬の念。常に穏やかで物腰柔らかな彼はクラスメイトに対しても敬語を使った。落ち着いた語り口と意外なほど低い声。思わず手を合わせて拝みたくなるような神々しい姿。
その一方、親しい友人の前では冗談を言って笑わせたり悪そうな表情をしてみせたりもしていて、偶然そんな姿を見てしまったときには、あまりのギャップにめまいがした。二年生からはクラスが分かれて、たまに見かける程度になってしまったけれど、中学を卒業して二十年以上が経った今でも確かに覚えている彼の名前を検索した。
結果の一番上をクリックすると、スーツを着た人物が現れた。耳を切り落として包帯を巻いたゴッホの似顔絵を思わせるその写真の下の四文字を何度も確認して「嘘でしょ?」とつぶやいた。かなりめずらしい名前だから同姓同名は考えにくい。
サラサラの坊ちゃん刈りはシャープな印象の短髪に。黒目がちな大きな瞳は下顎を中心とした骨格の発達により相対的に小さくなり、イノセントな印象から切れ者の印象へと変化した。文字情報から知る社会的地位も含めて魅力的な男性だとは思うが、私が憧れていた彼はもういない。
喪失感の波にもまれておぼれてしまいそうになる。時の流れはこんなにも残酷なのか。とはいえ、我が身を振り返れば、窓辺の文学少女(自称)も今や窓際の分福茶釜といった風情。他人にどうこう言える立場じゃない。だから、決して検索してはいけない。私の名前を。