阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「木曜日の夜」ゆい子
毎週木曜日の深夜は、私にとって特別な時間だ。元カレの幽霊が私の部屋を訪問するからだ。
数ヶ月前、初めて幽霊となって彼が現れた時、ホラーが苦手な私は恐怖のあまり、失神した。
しかし幽霊は昔付き合っていた頃と全く変わらない、くだらないプライド全開のままで、それがどこかかわいらしく、私に好きだった気持ちを思い出させた。
そして今では、私は毎週木曜の深夜を心待ちにするようになってしまった。
今夜も元カレは現れた。昔、私を呼んでいた呼び方で。
「菜々ちゃん、来たよ。」
「アキラ君。」
彼の姿は全体の色が薄くて、完全に透けてしまうまで、あまり時間がないような気がする。
「僕さ、なんで死んじゃったのか、最近まで思い出せなくてさ。」
アキラ君は私がベッドのそばに置いておいた丸椅子に座ると、生前と変わらない整った顔で笑ってみせた。
アキラ君の死因を、私は本当は知っていた。真夏に、彼女とデート中に、心筋梗塞で倒れて、亡くなってしまったのだ。
アキラ君は昔から不摂生で、食生活も乱れていたので、血液がドロドロだ、すぐ血管が詰まる、と医者から注意されていたのに、全く省みなかったので、知り合いからアキラ君の死因を聞いた時、私はやっぱり、と納得した。
「倒れた現場をさまよってみた?」
「さまようとか言うなよ。本当に幽霊みたいじゃん。」
「いや、本当に幽霊だよ。」
アキラ君にはあまり自覚がない。
「でさ、歩いてた大通りに行ってみたら、急に胸が痛くなったことを思い出したよ。たぶん、そのまま死んじゃったんだな。」
アキラ君があっけらかんとそう言うので、私は呆れながらも、ちょっとカチンときた。私としては、そこじゃないところに問題があった。
「アキラ君、倒れた時、一緒にいた女の子、覚えてる?」
「女の子?うーん、なんとなく。」
アキラ君は付き合っている彼女がいるのに、必ずもう一人、女の子をキープする癖があった。それは「彼女がいてもモテる俺様」という、彼のくだらないプライドを満たすためのものだった。
昔、私がアキラ君と別れた理由も、アキラ君の浮気が原因だった。
アキラ君が最後にデートしていた女の子は、私とアキラ君が付き合っていた時にアキラ君が手を出した女の子の、次の浮気相手なのだ。
アキラ君のお通夜に行った時、大きなヒソヒソ話があちこちから聞こえてきて、私はそれを知った。
「アキラ君さ、なんで幽霊になっちゃったのか知らないけど、いい機会だから、今までのアキラ君の不誠実のせいで傷つけた女の子達一人一人に謝ってまわったら?幽霊なら電車賃もかからないし、今、毎日やることもないし、ちょうどいいじゃない。」
プライドが高いアキラ君は、謝る、ということをほとんどしたことがなかった。できない人だったのだ。アキラ君が浮気した時、私は一度も謝ってもらえなかった。それどころか浮気発覚後、ショックで精神的に不安定になった私に、アキラ君は人格否定を繰り返し、私から離れていった。
そんないきさつで別れたので、私はアキラ君に謝ってほしかったのだ。
しかし幽霊になっても、やはりアキラ君はアキラ君だ。
「なにそれ。」
あからさまにすねた。機嫌が悪くなるとめんどくさい。しかし私も負けない。幽霊になってしまったアキラ君とはいつ会えなくなるかわからない。これが最後かもしれないのだ。自分の気持ちはきちんと伝えなければ。
「私はアキラ君が大好きだったんだよ。ずっと一緒にいたいと思ってた。浮気されて心が病むほど好きだったんだよ。どうして一度も謝ってくれないの?」
私は涙を流しながら訴えた。言いたかったんだ、すごく好きだったんだと。
自分の気持ちを叫びながら、私はこの恋が昇華していくのを感じていた。
アキラ君は辛そうな表情になり、
「ごめんね。」
と言った。そしてだんだん色が薄くなり、消えた。
私はそれから、元カレの幽霊を一度も見ていない。深夜に待つことはなくなった。