阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「箱地獄」川畑嵐之
もうずいぶん前のことになりますが、友人のアパートを訪ねたとき、箱がうず高く積まれていました。彼の趣味はフィギュア集めなので中にはそれが入っているというのです。飾ろうにも多すぎて飾れないのだそうです。彼はそのフィギュア集めが高じて人形づくりに励むようになり、ついにはその腕を認められて山洋堂というその道に名の知れた老舗制作工房に就職したのです。そのように趣味が発展して、その道のプロになったのですから、大変うらやましくも感心したものです。ところがしばらくたって彼のアパートを訪れますと、知らない間にカラフルな空き箱が積み上げられています。これはなんだと訊くと、なんでも海外のフィギュアを購入すると大変綺麗な箱に入っていたということで気にいって、今は箱も集めているというのです。箱が欲しいためにいろいろなものを購入しては中身をインターネットで売りさばくということをやっていました。彼のけっして広くないアパートはあっという間に埋めつくされてしまいました。私は彼にいいかげんこのようなバカなことはやめろと忠告しました。ところがせっかく集めたのだから処分はできない、手元に置いておきたいというのです。そして彼なりに努力したのでしょう。空き箱の中にすきまなく空き箱をつめて、なんとか部屋内におさめようとします。それでも彼はまた空き箱を集めるのでどんどん増えていきます。ついには部屋の床から天井、隅から隅まで空き箱でしきつめられてしまいました。それで彼はどのようにして生活していたのかというと、なんと箱の中に入って生活していたのです。冷蔵庫が入っていた縦長の段ボール箱を手に入れて、その中で寝そべって、飲み食いをして、就寝していました。もちろんその箱の上には天井まで箱がしきつめられています。良くいえばカプセルホテルのようでしたが、私にはどこか棺桶のように見えました。またいくら中にランプを持ちこんでいても、せまいし、ランプを消して寝るのは怖くないのかと不思議でした。そのことを訊くと彼はにこやかに、まったく気にならない、むしろおちつくというのです。まるでせまいところが好きな猫のように。そして私が恐れていたことがおこりました。もうだいぶん前のことですが、阪神大震災が彼のアパートを直撃したのです。あのような直下型大地震に対して彼は圧死したのではないかと心配しました。ところが彼は予想外にピンピンしていて「箱に助けられた」というのです。本当なのか疑わしいのですが、天井や壁は崩れても箱はつぶれずすきまをつくってくれたままで彼を守ってくれたというのです。彼のその嬉しそうな表情といったらありませんでした。このような感じですから、これからも箱を集めつづけるのだろうと思ったものです。ですが部屋はつぶれ、箱はいっぱいです。もっと広い部屋に移って箱を集めつづけるのだろうと予想していました。ところが彼はあれほど中毒といっていいほど箱を集めていたのに、箱集めをきっぱりやめたそうです。その決断と意志に感心したものです。ところがあそこまでいった性癖がそう治るとは思えません。久しぶりに彼のアパートを訪ねると彼は出てきません。鍵が開いていたので入るとさすがに箱で床から天井までいっぱいということがありません。ただ、中央に正方形の大きな白い箱がデンと置いてありました。他に彼の姿はありません。部屋の隅に脱ぎ捨てたようなトレーナーやズボン、ボクサーパンツまであります。その横に文庫本を見つけ、拾ってみると江戸川乱歩の短編集でした。後ろでいきなり笑い声がして驚きました。ふりかえると大きな箱しかありません。どうやらそのゲラゲラとした笑い声はその中かららしいのです。その笑い声で彼が箱の中にいるとわかりました。彼の名を呼びましたが、返答がありません。かわりにその箱がサイコロのように転がりだしたのです。ゆっくりとでしたが、まるでその大きなサイコロが追いかけてくるようでしたから、逃げまどいました。そして動きと中からの笑い声がぴたりととまりました。名前を呼んでも反応がありません。今度は窒息でもしたのかと心配になって、その箱を開けようとしました。ところがどこにも開けるとっかかりがないのです。これではいけない彼が危ないと思い、なんとか部屋の隅に金属バットを見つけ、それで箱を殴って壊し、穴を開けました。そして彼を引っぱり出そうと覗きこんだのですが、ところが、ところがです。驚いたことに彼の姿はなかったのです。そう、箱の中は空で、彼は消えてしまっていたのです。まるでイリュージョンマジックのように。それ以来、彼は行方知れずになってしまいました。
ただし、箱の内側は上下前後左右に鏡が張りめぐらされていたということをつけくわえておきましょう。