阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「異星人」野原うさ子
アパートの家主のトヨから頼まれて、加代山深い李畑へとやってきていた。
「本当に切り倒してしまうんですか」
枝が折れそうなほどにたわわに実った李の樹の前にトヨは立っている。
「当たり前じゃ!」
鬼の形相で斧を構えたトヨを見ていると、こんな場所へのこのこ付いてきたことに後悔が募る。トヨの夫の幸太郎が加代に親切なせいで、トヨは加代を嫌っているはずなのに。
「どけ!」と、トヨが加代を押した。手伝ってくれと言ったにもかかわらず、トヨは一人で李の樹を切り倒した。
「わしはこの樹を燃やす。あんたは散らかった李を拾ってくれ」
トヨの李畑の中で、なぜこの樹だけを切り倒したのか、加代には不思議だった。
「トヨさん。こんなに熟した実が生って……」
トヨが加代の手を鷲掴んだ。突然走りだしたトヨに引きずられ、加代は藪に押し込められた。圧風が吹き、李畑に何かが降り立った。
「おのれ。ぬけぬけと来おったか」
トヨが舌打ちをした。とても人間とは思えないやつらが三人、切り倒された李の樹の側で愕然とし、変な声を上げている。
「なにあれ?」
「あれは異星人の化け物じゃ」
トヨの言うとおり、まるで重圧な鎧に身を固めた姿は、米映画のアーノルドシュワルツェネッガーが主役を務めた、プレデターと酷似している。しばらくすると彼らは、お互いをけん制しながら切り倒された樹から李をもぎ取り始めた。
「なんで李を」
「あれがあいつらの力の源だからじゃ」
声を潜めたトヨが、屈伸運動をして、すごい勢いでゴリラの様に胸板を叩いた。闘志満々のトヨに加代は開いた口が塞がらない。
トヨが奇声を上げて出て行った。想像もつかない死闘が加代の目の前で繰り広げられた。
トヨの闘いに圧倒された異星人が船に逃げこみ、トヨが「ここはわしの李畑じゃ」と李を投げつけているのが見えた。まるで七十七歳とは思えないトヨの強さに加代は腰が抜けた。
トヨの話によると、
「初めて気がついたのが三年前。覚えのない樹が三本、ここで実を生らした。李とそっくりじゃが、苦くて食べられたもんじゃない。他の李と間違えてしまわないようにとわしは切り倒すことを提案したが、爺さんが聞かんかった。爺さんはこの実を食べて体力が若返ったからじゃ。この山路じゃて、あっというまに駆け下り、ほんの数分で戻ってくる。だからわしも食った。爺さんには負けたくなかった。だが、爺さんが若い頃みたいに浮気に精を出すようになると、もう我慢できん」
トヨは真っ赤な実にかぶりつき、ペッと、吐き出した。
「わしはあんたが子供二人連れて引っ越してきたときからずっと見ている。立派に子供も成人し、浮いた話一つないあんたは爺さんの魔の手に捕まらなかった唯一の強い女じゃ」
加代は五十七歳だった。二人の子供に孫の面倒を頼まれる以外は、スーパーのレジで働きながらのんびりと毎日を暮らす独身である。
「あいつらはわしの畑を汚しやがった」と、トヨはいきり立っていた。
「あいつらが植えた樹はまだ数本残っておる。それを根こそぎ燃やしてやる」
トヨは袖を捲り上げた。そこには夥しい火傷の痕がある。
「まともにあいつらの攻撃を受ければこうじゃ。油断するな」
力強く頷くトヨに加代は震えが止まらない。トヨの後に白髪頭の異星人がいる。
「これは爺さんじゃ! あれを食べ過ぎてこうなった。だから爺さんが危ないんじゃ!」
叫ぶトヨの頭上に宇宙船が現れた。爺さんを守ろうとするトヨが折をふり回した。辺りが爆風に包まれた。地に伏せていた加代が顔を上げると、化け物となった爺さんが空を見上げ、声にならない声で、トヨを呼んでいた。
「あれはやつらの最強の戦士を作る薬なんじゃ! くそっ。爺さんを渡してたまるか!」
叫んでいたトヨの声が蘇る。彼らは最強の戦士として、トヨを連れて行ったようだ。
爺さんと目が合った。加代はとっさに落ちていた李を拾い素早く口に放り込んだ。襲ってくる爺さんをかわしながら無我夢中で咀嚼する。すると今まで味わったことのない躍動感が身体を包んだ。全身の血が沸き立ち、加代の凄まじい雄叫びが木霊する。それは再び宇宙船を呼び寄せるには十分すぎた。異星人が下りてくる。彼らの屈強な姿を目の当たりにすると身体が震えた。しかし爺さんが無残に倒されたとき、加代はトヨを助けるのは自分しかいないことを確信した。だから加代は素早く屈み込み、口一杯に李を詰め込んだ。
了。