阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「にんにく」西方まぁき
意地悪な王妃様の問いかけに「白雪姫の方が美しい」と答えてしまったばかりに大変な事態となったことを反省し「魔法の鏡」は「あの事件」以来、真実を語るのをやめて沈黙を守ることにしました。
王妃様が亡くなり、白雪姫が王子様の元へ嫁いだ後、お城は廃墟となり、残された調度品は贅沢三昧の王妃様が残した借金のかたに取られ二束三文で売り払われました。
「魔法の鏡」も、海を渡り、山を越え、人の手から人の手へ渡る間に、その正体を知られることなく「ただのアンティーク品」として現在は国道沿いに建つラブホテル「ブルーシャトー」の浴室のひび割れた壁に掛けられています。
「いっつも思うんだけどさぁ」
ムチムチの体にバスタオルを巻いた女がベッドルームに向かって叫びます。
「ここ、ほんっと、趣味、悪いよねぇ。なに、この、仰々しい鏡」
うるせぇな、てめぇに言われたかねぇよ!
と、言い返したいのを「魔法の鏡」はグッとこらえます。
女達が退室し、清掃係が部屋を整え、次のカップルが入室して来ました。
毎週金曜日に訪れるカップルです。
中年男と、美しい若い女です。
彼女を初めて見た時「魔法の鏡」は何故か懐かしさを覚えました。
唇はバラのように紅く、髪は黒檀のように黒く、肌は雪のように白い……そう、彼女は白雪姫にそっくりだったのです。
男の方は、いけ好かない感じのすかした中年男です。
男は浴室で「魔法の鏡」の前に立つと、決まって髪をなでつけポーズをとります。
自意識過剰のナルシストめ!
と、罵倒したいのをグッとこらえます。
彼女は男のことを「部長」と呼びます。
会社の部下に手を出すなんて、サイテーです。
ベッドでことが終わった後、彼女は一人で湯船に身を沈めます。
「ねぇ……」
ベッドで鼾をかいている部長には聞こえません。
「奥さんといつ別れるの」
あの男は妻と別れるつもりなどない。
真実を見通してしまう「魔法の鏡」としては「あなたは遊ばれている」と告げてやりたい。
でも、彼女にとっては「知りたくもない真実」なのかもしれません。真実を語るとろくなことはないと白雪姫の時、学習済みです。
「魔法の鏡」は沈黙を守ることにしました。
翌週の金曜日。
いつものように彼女が部長と連れ立ってやって来ました。
ことを済ませ、退室する直前に、彼女が耳たぶに手をやり叫んだのです。
「無い!」
「何が?」
「ピアス!部長から誕生日にもらったやつ」
それからが大変です。
あと数分で「延長料金」を払わねばならないとあせる部長を無視して彼女が「にんにく、にんにく……」と呪文を唱えながら探し始めたのです。
物が無くなるのは意地悪な魔女の仕業だから、魔女の嫌いな「にんにく」の呪文を唱えながら探すと探し物が見つかるという言い伝えに基づく行動です。
実は魔女だけではなく魔法界の者はみんな「にんにく」が苦手です。
彼女が呪文を唱えて浴室にやって来た時、「魔法の鏡」は気持ち悪さに耐えられなくなり、思わず叫んでしまいました。
「やめて……や・め・て・く・れぇええええ!」
彼女はポカンとしていました。
沈黙を破ってしまったついでに真実もぶちまけてしまいました。
部長は遊びで付き合っていること。
妻と別れるつもりなどないこと。
「おい、なにやってんだ!早く行くぞ」
扉の前でイライラと待つ部長をよそに、彼女は「魔法の鏡」の前で立ちつくしていました。
そして、洗面台に置かれていたピアスを見つけて手の平に乗せ、暫く見つめてから顔を上げました。
「鏡よ、鏡……世界で一番強い女はだぁれ」
「それは、あなた。悲しみの先にはきっと楽しいことが待っている」
雪のように白い頬を真珠のような涙が一筋流れました。
「ありがと」
彼女はピアスをゴミ箱に放り投げ、背筋を伸ばして去って行きました。〈了〉