阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「日めくり」石黒みなみ
日めくりを買った。子どもたちが出て行き、夫が亡くなって、毎日一人ですごしていると、月ごとのカレンダーでは今日が何日で何曜日かわからなくなるのである。
元旦から始めて、毎朝起きた時、必ず一枚破り取るのが習慣になった。初めのうちはていねいにきっちり切り取っていたが、慣れるにしたがってぞんざいになってきた。ある日のこと、うっかり二枚一緒にちぎってしまったことに気がついた。しまった、と思った時にはあとの祭りである。セロテープで一枚くっつけておこうと思って引き出しを開けたが、こういうときにかぎってセロテープが見当たらない。
私は日めくりを見てため息をついた。今日は十三日の水曜日でなく、十二日の火曜日のはずだ。今日は十二日、火曜日、と何度も唱えるように言ってみたが、これでは日めくりの意味はない。しかたがない。運動がてら外に出て、セロテープを買いに行くことにした。
外は寒いが晴れていて気持ちがよかった。一番近いスーパーマーケットまで歩く。まだ若い頃、この家を買ったのは病院もスーパーも近くて便利だったからだ。それが年々道のりが長くなり、坂道は急になっていく気がするが、そんなはずはないだろう。
歩きながら、さて今日は何曜日だったかな、と考えた。そうだ、火曜日。火曜日は「野菜の日」だったはずだ。そのスーパーでは水曜は魚の日、金曜は肉の日、というふうに曜日で特売をしているのだ。ちょうどいい、何か野菜を買って帰ろう。
考えているうちにスーパーに着いた。カゴをとって中に入るとアナウンスが流れた。
「いらっしゃいませ。本日、水曜日は魚の日、新鮮なお魚がお買い得になっております」
え? と私は立ち止まった。さっきめくった日めくりを思い浮かべた。うっかり二枚一緒にめくったはずなのだ。本当の日付は、十二日、火曜のはずだ。私は近くにいた店員に話しかけた。
「すみません、今日は火曜日ですよね」
店員は変な顔をした。
「いえ、水曜日ですよ。魚がお買い得です」
すみません、と慌てて私は店員から離れて鮮魚コーナーに行ってみた。確かにでかでかと「水曜日は魚の日」と書かれた張り紙があり、ブリやタイの切り身、塩鮭などが安くなっている。ひょっとすると、昨日一枚めくり忘れていて、今日二枚めくったのでつじつまがあったのかもしれない。だとすると相当ぼんやりしていることになる。気をつけて毎日すごさなければ。そう思いながら、目の前のきれいなブリの切り身に見とれ、しばらく焼き魚などしていないことに気がついて、思わずパックをかごに入れていた。
店を出て歩き始めてから、セロテープを買い忘れたと気がついた。曜日をまちがっていたことで頭がいっぱいになり、次には魚を見繕っていてすっかり忘れていたのだ。引き返すのは面倒だった。不思議なことにいつも帰り道のほうが遠いのだ。まあいい、今日は実際、十三日の水曜日なのだ。ちぎった十二日の分をテープで止める必要はない。セロテープはまた今度買うことにしよう。
夕方、早めにブリに塩を振って焼いた。脂がのっていておいしかった。パックには二切れ入っていたから、もう一切れは明日の夜食べようと思った。
翌朝、私は気をつけてていねいに日めくりをちぎった。十四日、木曜日だ。これで大丈夫。夜にはブリを照り焼きにした。青魚はボケ防止にいいはずだ。また「魚の日」には買い物をしようと思った。
翌朝、気をつけたつもりだったが、また二枚一緒にちぎってしまった。私はつくづく自分の手を見つめた。年をとると、握力が弱くなるのは聞いたことがあるが、不器用になるということもあるのかもしれない。セロテープを買いに行こう、と思った。
家を出ると日めくりの十六日、土曜日、という大きな文字を思い出した。いやいや、今日は本当は十五日の金曜日だ。金曜日はたしか肉の日だ。肉はあまり食べたくない。セロテープだけ買って帰ろう。歩きながら、またスーパーが一段と遠のいたように思えた。
やっとの思いでたどりつき、カゴを手に中に入ると、甘い匂いがたちこめていた。アナウンスが響く。
「本日、土曜日はパンの日です。食パンも菓子パンもお買い得。焼きたてコーナーにもお立ち寄りください」
私は立ち止まった。土曜日だって? 確かにパンコーナーには「土曜日はパンの日」とのぼりがたち、いい匂いはそこから漂っている。ひょっとすると、スーパーがどんどん遠くなるように、時間のたちかたも変わっているのかもしれない。今日が何曜日でもかまやしない、とにかく焼きたてパンを買わなくちゃ、と私は甘い匂いに引き寄せられていった。