阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「舅の好物」偉目野ピー助
い草の香り漂う仏間にお鈴が澄んだ音の輪を広げる。集まった家族は神妙な面持ちで手を合わせた。「じいちゃんも逝っちまったね」
黒い額縁の中に収まる舅は朗らかに笑う。仁美の横でいつまでも手を合わせ続ける夫とよく似ている。
「さあ、仁美さん、やっちゃいましょうか」
未亡人三ヶ月目となった姑は腕をまくり立ち上がった。一緒に仁美も腰をあげる。
舅が亡くなって初めてのお彼岸。年に二度ある姑との一大イベント、おはぎ作りを前に仁美の胃がきりっと痛んだ。
「秀太とお父さんはブロックで遊んでいよう」
実の母と全くの赤の他人である妻だけを残し、夫は去る。夫の実家から帰った後は、いつも顔面が筋肉痛になる。不自然な笑みを何度も浮かべなければならないからだ。
手際よくもち米を研ぎ始める姑。それを見て仁美は眉をひそめる。つい先ほど線香を触っていた手を洗いもせず、とため息が出る。姑は、庭いじりをしたその手で秀太の手を握ったり、外で落とした飴を「大丈夫」と息を吹きかけ秀太に食べさせたりと、衛生面に問題がある。こうして台所に立ってみても水垢や黒カビが目立つ。
なるべく姑には手を出させないよう、率先して作業を進めた。あんを練り終え、炊き上がったおこわを包む。
「ちょっとお手洗い。仁美さん、先に包んじゃってて」
笑顔で見送りながらも手を洗って帰ってくることを祈る。姑が戻るまでに全て終わらせてしまおう。手早くおこわを包み、あんの形を整える。洗面所から流水音が聞こえた。いけない。そろそろ戻ってくる。
仁美は速度を上げ、最後の一個に取りかかった。そのとき、完成したおはぎの載る皿に手をぶつけてしまった。あっと思ったときにはすでに、おはぎは宙を舞い、床に転落していた。いつ掃除機をかけたのかもわからない埃だらけの床を舐めるように転がる。
姑はリビングで秀太にちょっかいをかけていた。また手を洗わずに秀太を、とも思ったが今はそれどころではない。慌てておはぎを皿に戻し、床をさっと拭く。
「あら、仁美さん、早いわね」
愛想笑いを浮かべ、おはぎに目を凝らすが、どの程度ゴミが付着しているかよく見えない。
供物として出されることを思うと罰当たりな気もしたが、お彼岸のときだけの儀式のようなものだ。黙っていれば誰にもわからない。
出来上がったおはぎを姑が適当に見繕い、仏壇に運ぶ。再び家族が集まり合掌。夫が稚拙ながらも読経した。
季節外れの風鈴の音が涼風とともに仏間に踊る。供物を片づけ、お彼岸の儀式はこれで終わるはずだった。
「せっかくだから、いただきましょうか」
いつもは食べないのに今日に限って。仁美は手掴みでおはぎを頬張ろうとする姑を見守った。止めるべきか。それは床に落ちたおはぎ。しかし、何と言って止める。自らの失敗を今さら曝け出すのか。落としたことだけではない。それを何食わぬ顔で皿に戻し、黙っていたことまでバレてしまう。
悪魔の囁きが甘美な魅力を放って仁美に迫る。いつも汚い中で生活しているのだ。少しのゴミくらいなんともないだろう。
「僕も食べたい」
突然、秀太が強い口調で意思表示をした。
ダメだ。絶対にダメ。どんなゴミが付着しているかわからないようなものを。だが、姑が食べようとしたときには止めず、息子のときには止めるのか。
「いただきます!」
秀太がおはぎに手を出した瞬間、仁美が皿を奪おうと腰を浮かせるよりわずかに早く、姑の手が動き、おはぎを皿ごと床に落とした。
「あら。ごめんなさい。これじゃあ、秀ちゃんは食べられないわね」
秀太は文句を言い、夫は慌てておはぎを片づける。「母さんはおっちょこちょいだな」
仁美の目には何かがおかしく映った。普段は床に落としたものなど気にせず口にする姑。何より今の手つきは、わざと皿を落としたとも取れる。夫の拾ったおはぎを台所に持って行く姑の背中はどこか小さく見えた。
夫の実家での滞在を終え、自宅に戻る車内、夫が何気なく口にした。
「そういえば、ねずみなんか見なかったな」
「ねずみ?」
「悪さして困るって。前に強めの殺鼠剤を用意したんだ。取り扱いは気をつけろよってね」
妙な胸騒ぎがする。
舅を亡くし、落ち込んでいた姑。以前は食べなかったおはぎを口にしようとした。秀太が食べようとしたとき、それを阻止するかのように皿を落とした。
ゴミどころの騒ぎではない。仁美は運転中の夫の腕を掴む。「今すぐ、引き返して」