阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「また始まる」松尾幸明
「オヒガンって何?」と尋ねる娘に、彼女は少し考えた後、「死んだ人が帰ってくることよ」と答えた。小学校に上がったばかりの女の子に、他にどう伝えればいいのかわからなかった。「じゃあ、おばあちゃんも帰ってくるの?」娘にそう聞かれて、彼女は身体が強張るのがわかった。そして前を見つめたまま、自分に言い聞かせるように呟いた。「おばあちゃんは、帰ってこないと思うけど」
タクシーを降りた。蝉の音が溶け込む熱気に包まれながら実家の固い引き戸を開け、声をかけた。父が出てくるとわかっていたのに、それが父親だとは一瞬わからなかった。去年、母が亡くなってから父は一人になり、連絡を取ることもほとんどなかった。予想していた以上の変化に、彼女は黙ったまま衝撃を受けた。家の外がすっと静まりかえり、息が詰まる熱気も次第に遠のいていった。私は父を、この暗い木箱のような家の中に閉じ込めてきたのだろうか。スカートを下から引っ張られて我に返り、見下ろすと娘が不安そうにこちらを見ていた。慌てて彼女は明るい声音を絞り出した。「お父さん、ちょっとやせたんじゃないの。もうタクシーが煙草くさくて参っちゃってさ」
わざと大きな音を立てて家に上がり、室内を見渡すと、どの部屋もほとんど荒れ放題だった。家の中のあちこちにごみと埃がたまり、洗われていない衣類や食器が散乱していた。元々古い木造の家屋だったが、いたるところに分厚い静寂と陰湿な匂いが覆い被さり、この一年で家はさらに年を取ったようだった。
ごみをまとめて食器を洗っているうちに結局、二時間あまりが経ってしまっていた。ふと我に返り娘と父の姿を探すと、二人は居間の横に据えられた薄暗い和室にいた。そこには母の遺影と仏壇があり、娘は父親に抱きかかえられるようにして座っていた。二人はじっと遺影を見つめているようだったが、彼女はふと、何かが隠されたような印象を受けた。入ったときにはよく見えなかったが、父親がさっと動いたような気がする。二人の顔には特に表情がなく、変化を読み取ることはできなかった。掃除が終わったよ、と声をかけると、父親は喉の奥でかすかにうなるような音を出し、立ち上がると二階へ上がった。
娘は座ったまま動かなかった。彼女は娘の視線の先にある、母親の遺影を眺めた。久しぶりに見る母の姿だった。笑顔をつくろうと試みる気配は皆無で、何かに堪えるような表情でこちらを見返している。亡くなってから改めて眺めると、正しい時期を過ぎたまま放置され、形が崩れ皺が寄った果物のような顔だと、彼女はぼんやり思った。顔全体の筋肉に力が入り、中でも大きな皺が二本、口の脇に浮かんでいる。そう考えると、黒目がちな両目は不揃いな種子のようにも見える。この顔が、と彼女は改めて思った。この顔が、私は許せなかったのだ。呪われた果物。
娘はまだ遺影を見つめていた。「おじいちゃんと、何のお話してたの?」彼女は娘に質問した。反応はなく、ちらりとこちらを見た後、また遺影に視線を戻してしまった。「ねえ」と彼女は辛抱強く続けた。「聞いてるのよ。何か、お話してたんでしょ?」。沈黙。無視されたまま、再び彼女が口を開こうとしたところで娘が答えた。「言えない」「え?」「言えないの」
ぐっと口を閉ざし押し黙った。頭を巡らせ、いくつかの可能性を考えてから彼女は尋ねた。
「おじいちゃんが、言っちゃいけないって言ったの?」沈黙。「何か言えない理由があるの?」沈黙。これまでにない頑固さ。彼女は途方に暮れ、しばらく立ち尽くした。すると、奇妙な苛立ちを覚えた。懐かしい感覚で、それが苛立ちなのだと気がつくまでに時間がかかった。時間をかけて練り上げられた、深い海の底でうごめく岩のような感情だった。
感覚が鋭くなり、彼女は段々と、その部屋の匂いに耐えられなくなった。使い古された着物と畳が入り交じった匂い。そこに住む人間の体臭が混じり込み、家族の間の見えないつながりとなった匂い。これ以上そこにいることはできなかった。彼女は声をかけたが、娘は動こうとしなかった。ゆっくりと近づくと、彼女は娘の前にしゃがんだ。その視線は彼女の顔の脇を通り抜け、背後にある遺影へと変わらず向かっていた。
「何を話したか、大体わかっているからね」と彼女は言った。娘の視線が微かに揺らいだ。「でも気にしなくていいよ。関係ないんだから。もう終わったの」
戸惑うように視線がさまよった後、娘は彼女を真っ直ぐ見つめた。そして顔をくしゃくしゃにさせ、声をあげて泣き始めた。彼女は娘の頭を両手で抱え、落ち着くまで髪を撫でてやった。そして指先で目尻の涙をぬぐった。
そのとき初めて、娘の口元の両脇に大きな皺ができていることに彼女は気がついた。