文章表現トレーニングジム 佳作「消せない記憶」 坂田しの
第13回 文章表現トレーニングジム 佳作「消せない記憶」 坂田しの
人の性の目覚めに立ち会う機会はそうそう無いだろうが、私には弟がいた。彼は自室を与えられており、性に関する悩ましいあれこれはその密室内で終わる。終わるはずだったのだが、私たちが中学生当時、この家にもIT化の波が訪れたのである。
真新しいPCに、家族全員が夢中だった。求めるものが湯水の如く溢れるまるで魔法の箱。そして魔法の世界への入り口、それがサーチエンジンだ。いつものように検索窓をクリックしたある日、身に覚えのない文字列が飛び込んだ。「おっぱい」である。その上には「巨乳」とも。嫌な予感がして履歴を見ると、くらくらするような単語のオンパレード。私はそっと履歴を消した。
そこから私と弟のいたちごっこが始まった。彼がつけた足跡を入念に消去するのだ。だが一夜超えると、再び思春期らしい粗削りな性への興味が並べられる。弟の遠慮がちな性格を鑑みるに、「履歴が残る事実をただ知らない」ように思われた。本人に直接言おうかとも考えたが、姉に性嗜好を把握されている。そのことに思春期の繊細な心が耐えうるか疑問であった。
いつの日か履歴はぱったり残らなくなった。気付いた瞬間の彼の羞恥を思うと姉ながら涙が出るほど同情するが、性に関する記憶なんて大抵が恥とセットなのだ。妹含め三人の姉弟は仲良しで、酒も酌み交わす。その度にぺろっと告白しそうになるのを堪える。誰かの性の芽生えは、必ず誰かの公表されない記憶の中にあるのだ。