公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

選外佳作「カエルを食べたのは? やまざき和子」

タグ
作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第29回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「カエルを食べたのは? やまざき和子」

なだらかな山道だった。道幅は車がやっとすれ違える程度なのだが舗装されているし、ガードレール脇にはほんの三十センチほどではあるが歩道らしきものもある。新緑の美しい季節でもあり、道を往来する行楽客の姿もほどほどで、快適な散歩と言って良かった。しばらく歩いていると、どこかで水の流れる音がしてきた。谷川があるのだろうかとガードレールの下を覗きこんでみたが、ただ鬱蒼と木々が繁っているだけで何も見えない。そして水の音はもう少し先で聞こえてくるようだった。やがて前方に何人かの人が群がって、ガードレールから身を乗り出しているのが見えた。

近づいて、「何ですか?」と、そばの男性に聞きながら私も一緒に乗り出して眺めてみる。水の飛沫が顔にかかるのと「滝ですよ」とその人が教えてくれたのが同時だった。

なるほど斜め前方に小さな滝が落ちているのが見えた。そこだけ木が削り取られたように岩肌が顕わになり、上は抜けるような青空である。そこから白い滝が落ちて来るのはなかなかの眺めだった。小さい滝なのだが、水の勢いは相当なものらしくて、乗り出すと飛沫が遠慮なくかかってくる。私は持っていた晴雨兼用の傘を広げた。それまで眺めていた人たちは順次そこを離れていって、気がつくと私は先ほどの男性と二人だけになっていた。

「この滝、どこに向かっているのでしょうねえ」黙っているのも気詰まりで、私は意味の無い問いかけを男性にしてみる。「たぶん、山を下って行って、那珂川あたりに合流するのじゃないかと思いますがね、ここは、こう見えて結構標高はあるんですよ」

男性の口調はあくまでも穏やかで、私はもう少しこのまま二人で居たいような気になっていた。下を覗くと、岩がちょっと突き出た所に何か小さな生き物のようなものが見える。

「あら、何かしら、あれ?」と指差すと男性も一緒に覗き込んで「あれ、アマガエルだ。珍しいなぁ」と俄かに嬉しそうな声になった。なるほど、よく見れば指先ほどの小さな緑色のカエルがちょこんと岩の上に座っている。最近、宅地造成の波が急激に押し寄せて来るようになった我が家の周辺ではついぞ見かけたことは無い。「可愛いものですねえ。カエルも色々なんですね」私は自宅から程近いたんぼの脇で、春になるとさかんに鳴き声を立てる大きなウシガエルを頭に置いていた。

その時である。さしていた傘の上に、何やらバサッと落ちて来たような感じがした。木の葉や毛虫の類では無い。もっと重さのあるもの、言ってみればカエル、みたいなもののように思われた。

「やだ、何か落ちて来た。なにかしら?」傘越しに上を見るが、無論乗っているものの正体が何なのかは分からない。ただ、それがどうも傘の上をそろそろと動いているような気配がある。

私は総じて虫は嫌いではない。子供時代は至る所雑木林や雑草の生い茂る原っぱで、一日中駆け回って遊んでいたから虫たちは友達みたいなものだった。葉の裏に隠れているカタツムリに完成をあげたり、石ころを持ち上げてゲジゲジやダンゴムシを追いかけたりもした。傘の上に毛虫が落ちてきたとしても、それだけで悲鳴をあげたりはしない。でも、今頭の上を動き回っている物は感覚としてはそれ以上の大きさと重さのある物だ。まさかカエルが木の上から落ちて来たりはしないだろうし、とすればヘビ? それはちょっとお断りだ。私は傘の上の物体を振り落とそうと、思い切り振り回した。が、その物は落ちるどころか傘の上で一層もぞもぞと激しく動きまわりだした。恐怖がじわりと寄せて来る。

「いやだー、取って、取って~」私は傘を振り回しながら思わず大声を出した。すると「どれ、貸してごらん」という声と共に大きな腕が伸びてきて私から傘を取り上げると、ガードレールの縁でトントンと軽く傘を叩いた。途端にザーッと何かが滑り落ちて行く。

カマキリ? 緑色の細長い物体は確かにカマキリのように思われた。それにしても、何と大きなカマキリだろう。見たことも無いほど大きなカマキリが、ちょうどさっきのアマガエルが居たと思われる岩の上に落ちると、あっというまに小さなアマガエルを抱えたまま更に下の繁みへと姿をくらましてしまった。

あんなのが頭の上に居たのかと思ったら急に恐くなった。もしかして、私を狙って降りて来ようとしていた? まさかね。でも、あの大きさだ。普通のカマキリではない。

「何なのでしょうね、こわいこと」と私は傘を振り払ってくれた人に向かって喋りかけたつもりだったが、そばに居る筈の人は居ない。その人が、それまで話していた男性なのかどうかも分からないが、あたりに人影は無く、遙か後ろの方から二、三人の女性グループがゆっくり登って来るだけであった。