選外佳作「おっさんと相合傘 岸田奈歩」
あの日を境に俺の人生は変わった。
「お前、明日からもう来なくていいよ」
遅刻ばかりでやる気のない俺にバイト先の店長からそう言われた帰り、駅に着くと雨が降っていた。その駅には改札横に貸し傘が置いてある。乗客の忘れ物の傘を、貸し出しているのだ。
「使用後は返してくださいね。貸し傘はあなたの善意で成り立っています」と書かれた紙が傘立ての横に貼ってあった。
返すわけねぇだろと思いながら最後の一本のビニール傘に手を伸ばすと同時に手が伸びてきた。
一本のビニール傘を握り、お互い顔を見合わせた。相手は白い毛が混じる髭を生やしたおっさんだった。
「若いんだから濡れて帰っても平気だろ」
おっさんは俺を見るなり傘を引っ張った。
「おっさんだって年寄りじゃねぇんだから濡れても平気だろ」
俺は傘を引っ張り返した。通り過ぎていく人々が俺達を怪訝な目で見ている。
「お前の家、どこだ」
「なんでおしえなきゃなんねぇんだよ」
おっさんは俺が右手にぶら下げているビニール袋をじっと見つめた。その中にはスーパーで半額になった唐揚げが入っている。
「俺のほうが絶対家近いから先寄ってくれよ。で、俺ん家寄ってけ。その唐揚げもっと旨くしてやるから一緒に食おうぜ」
「は?何言ってんだよ。なんでおっさん家に行くんだよ。唐揚げは俺のもんだよ」
おっさんは俺をじっと見つめた。
「お前、人生うまくいってねぇだろ」
「は?おっさんに何がわかるんだよ」
俺は図星をつかれて声が裏返ってしまった。
「俺にはわかる。俺がお前の人生なんとかしてやるよ。唐揚げ一緒に食うだけで人生好転するかもしれないんだぜ、リスクねぇだろ」
「そういう問題じゃねぇ……」
言いかける俺の手をおっさんは強引に引っ張り傘をさして歩き始めた。
おっさんから傘を奪って走り去ることもできたし、傘なんてささず濡れて帰ればよかっただけだ。でもなぜか俺はおっさんとひとつのビニール傘に入ってザーザーと強く降る雨の中を歩いていた。
「男同士で相合傘って気持ち悪いな」
「あんたが言ったんだろ」
おっさんは何が楽しいのかさっきからニヤニヤしていた。
おっさんの家は二階建てのぼろいアパートの一階だった。外観のぼろさとは違い、家の中は整理整頓され、きれいな部屋だった。
「その唐揚げ、こっち持ってきてくれよ」
「唐揚げはやる変わりに、俺の人生なんとかしてくれるんだろうな」
おっさんにそんなことを言うのはばかげている。言った自分に呆れて俺は溜息をついた。
就職先が決まらず俺は人生がどうでもよくなっていた。まだ大丈夫だから頑張れと彼女に言われるほど、俺はやる気を失った。そんな俺に彼女は愛想をつかし俺に別れを告げた。さらにバイトまで失った俺は終わってるな、と自分でも思っている。だからこそ人生どうでもよくなりおっさんの家に上がり込んでいるのだろう、俺は。
「唐揚げのネギソースのっけ、出来たぞ」
おっさんは俺が買ってきた唐揚げを皿にうつし、アレンジしていた。
「旨そうにしてやっただろ」
おっさんはにやにやしながら、コップにデカいボトルに入った焼酎を注いだ。
「酒、飲めるだろ」
「はぁ、まぁ」
「はっきり答えろ、ったく。食え食え」
いつもパックから開けそのまま食うだけの唐揚げとは違い、猛烈に旨かった。
「お前さ、目の前のものそのまま受け止めてんだろ。この唐揚げみたいにアレンジすれば変わるんだよ。唐揚げも人生も」
「は、どういうこと?」
おっさんの言っていることがわからず首を傾げていたが、ネギソースがかかった唐揚げを食べているうちにだんだんおっさんが言うところの意味がわかってきたような気がしてきた。
「食い終わったら帰れよ。で、人生アレンジ案を考えまくれ。わからなくなったら俺ん家、また来てもいいぞ」
おっさんは皿についたソースを舐めながら焼酎をちびちび飲んでいた。
「サンキュー、おっさん。旨かった。また来てやるよ、唐揚げ持って」
おっさんのにやにやする顔を見ながら俺はドアを開けた。
傘をさして歩きながら人生アレンジ案を考えた。初めて、人生って悪くないんじゃないかと俺は思い始めている。傘をくるくる回しながら俺は小さく鼻歌を口ずさんでいた。