選外佳作「おばあちゃんの傘 竹内佳子」
教室の窓ガラスに雨粒があたる音がして、外を見る。さっきまで晴れてたのに突然の雨。窓の隙間から湿った土の匂いが入ってくる。
「麻里ちゃん、雨降ってきちゃったね。傘もってきた?」
黄色い帽子のゴムを指にひっかけてくるくると回しながら萌香が近づいてくる。
「持ってきてないよ。萌ちゃん持ってる?」
「持ってない。ダッシュで帰ろう。」
私は重たいランドセルを背負い、しぶしぶ立ち上がる。
二人並んで昇降口に向かう。4年2組のプレートの下駄箱。赤い靴の横に、古びた花柄の折り畳み傘がおいてある。
「麻里ちゃん家のおばあちゃん持ってきてくれたんだ!ね。萌香の家まで入れてって。」
持ち手のプラスチックに「柴田紀子」とビニールテープで貼ってある。おばあちゃんの名前だ。もうやだ。こんなの恥ずかしい!
こんなことしなくていいのに。傘なんて持って来なくていいのに。おばあちゃんは何度言ってもすぐに学校にくる。はちまき忘れたときも、ちょっと熱が出て保険室で寝てた時も。
ママが交通事故で死んでから、おばあちゃんは突然家にやってきた。大きな荷物をもって、パパ一人じゃ大変だろうからって。頼んでもいないのに。
「麻里ちゃん、ちょっと早いよ。あたし濡れちゃう。ゆっくり歩いてよぉ。」
「ごめん。おばあちゃんの事、考えてたの。こんな傘持ってきて。いらないのに。」
「えぇ。なんで?助かるじゃん。」
「なんかお線香臭いし。ママだったらちゃんとあたしの長い傘持ってきてくれるのに。」
気まずくなって黙って歩く。
萌香の家のそばまでくると、バイバイして別れた。雨は止みそうにない。傘をくるくる回してみる。ベージュ色に赤と紫の大きな花模様。銀の棒は茶色のさびが浮いている。凄い昔から使ってそうな傘だった。
「もうこんな傘。なんでもってくるんだよぉ」
傘を閉じて、土手の雑草をめちゃくちゃに叩いた。傘の細い骨が折れまがり、それでも振り回し続け、気が済むと遠くへ投げ捨てて走って帰った。
ドアを開けるとおばあちゃんがバスタオルを持って廊下に立っていた。
「おかえり。濡れちゃったねぇ。大丈夫?」
私はただいまも言わず、無視して部屋に逃げ込む。おばあちゃんがドア越しに話かける。
「麻里ちゃん、傘どうした?下駄箱においといたけど、差して帰ってこなかったの?」
聞こえないふりして、机に向かう。
ママが死んだからって優しくしなくていいのに。放っておいてほしいのに。なんで優しくするんだよ。こんなに嫌な子なのに。
玄関を開く音がする。おばあちゃん、雨の中どこかへ出かけていったらしい。
夕飯の時間になり、いつも茶色い煮物がテーブルに並ぶ。私はふて腐れた顔で白いご飯にフリカケだけかけて食べ終える。
「麻里、煮物やサラダもしっかり食べないと大きくなれないぞ!」
パパが醤油とお砂糖だけで似たジャガイモを口に放り込みながら注意する。うざい。
その夜、おばあちゃんが寝た後、パパが部屋に入ってきた。
「おばあちゃんの傘どうしたんだ?」
黙っていると、寂しそうな顔をして話だした。
あの傘は、ママとママのお姉ちゃんの聡子おばさんが母の日にプレゼントした大切なものだった。
私は泣きながらパパに話した。荒川土手で振り回して骨を折り、雑草の奥に投げ捨ててきちゃったことを。
「パパからも謝るから、麻里も正直に話して謝りなさい。おばあちゃんの大切な物をなくしてしまったんだから」
その晩は眠れなかった。ママが死んでしまったときのように、自分のせいで大切なものを失ってしまった。なんてバカなんだろう。
「おばあちゃん、ごめんね。傘壊して捨てちゃったんだ。ほんとごめんね。ごめんね。」
朝いちばんでおばあちゃんに謝った。
ぽろぽろ泣きながらおばあちゃんの前で突っ立っていたら、おばあちゃんがぎゅーっと抱きしめた。腕が折れ曲がるくらい痛かった。やっぱりお線香の匂いがした。
「いいんだよぉ。風邪ひいたりしなくてよかった。傘は壊れるもんだ。また買えばいいんだから。大丈夫。大丈夫だよ。」
おばあちゃん、痛いよ。って言いながらしがみついた。痛いよ。痛いよ。おばあちゃん。
わぁわぁ泣いた。ママが死んでから、ちゃんと泣けていなかったんだ。ずーっと何かを我慢してたみたいに、今、涙が洪水になって体からあふれ出した。
荒川土手を探そう。おばあちゃんの大事な傘を探そう。絶対見つけなくちゃ! 本当に大切なものを失わないように。