佳作「傘の花 いとうりん」
春から夏にかけて、たくさんの花が咲くけれど、私にとって最も愛しいのは「傘の花」だ。雨上がりの澄んだ光の中、六つの傘の花が軒先に咲く。それは我家の幸せの象徴だ。
夫の黒い傘、私の赤い傘、長女の夕菜はオレンジの傘、長男の海斗は青い傘、次男の草太は緑の傘、末っ子の桃香はピンクの傘。それぞれのカラーが、右から大きい順に並んでいる。通りすがりの人が目を細めるほど、それは微笑ましい風景だった。
雨が降り続いている。六つの傘が軒下に咲くことは、もうない。
家族で出かけたハイキングの帰り道、突然の集中豪雨に見舞われ、私たちが乗ったバスがスリップして崖から転落した。家族の中で、私だけが生き残ってしまった。
あの日から、ずっと雨が続いている。色のないこの部屋に、雑音のような雨音が絶え間なく聞こえる。気が狂いそうな寂しさに耐えながら、楽しかった日々を思い出そうとしても、雨は私の心にまで降り続き、やがて嵐のようにすべてを奪ってしまうのだ。
雨が続いているせいで、昼も夜も暗い。日にちの感覚がわからないほど、私の心が壊れかけている。そんなときだった。容赦なく窓ガラスを打ち付ける雨音に混ざって、子供たちの声が聞こえてきた。
「お母さん、算数のテストで百点とったよ」
しっかり者の夕菜の声。優しくて、お手伝いもよくしてくれた。
「お母さん、サッカーの大会で点入れたよ」
元気な海斗の声。負けず嫌いな頑張り屋さん。運動会ではいつも一等だった。
「お母さん、家族の絵を先生に褒められたよ」
おっとりしている草太の声。時々大人みたいことを言って驚かせてくれた。
「お母さん、桃ちゃんひとりで、お買い物に行けたよ」
甘えん坊の桃香の声。おしゃれが大好きで、幼稚園にはいつも違うリボンを付けて行った。
あなたたちはどこにいるの? この雨の中に閉じ込められているの? 子供たちに逢えるなら、嵐の中でも飛び込んで行く。本当にそう思っているのに、なぜか私の体は雨を恐れていて、外に飛び出すことができない。
リビングに置かれた茶色のソファーには、いつも誰かが座っていた。夜になると、三人掛けのソファーを奪い合うように、夫と四人の子供たちが押し合いながら座っていた。根負けして最初にソファーを下りるのは決まって草太で、子供と一緒になってはしゃぐ夫を、私が何度もたしなめたものだ。
今私は、一日中ソファーにいる。占領する私に、「ずるーい、お母さん」と誰かが言ってくれるまで、ずっとソファーに座っている。
ふと、小さな歌声が聞こえてきた。雑音のような雨音がいつの間にか消えて、代わりに聞こえてきたのは小鳥のさえずりだ。長い雨が、ようやく止んだ。
私はソファーから体を起こし、窓辺に近づいた。どんよりと暗かった空に光がさしていて、その先に大きな虹が出ていた。
「まあ、きれい」
虹が出ているよと、子供たちに声をかけそうになって、いないのだと気づいた。ため息混じりにうつむいて、窓を閉めようとした私の目に、七色の虹よりもずっと愛しい、五つの色が飛び込んできた。
軒先に五色の傘の花が咲いていた。夫の黒い傘、夕菜のオレンジの傘、海斗の青い傘、草太の緑の傘、桃香のピンクの傘。右から大きい順に並んでいる。
「五人でお出かけしたのね。お母さんも連れて行って欲しかったな」
手をのばしたら、五つの傘はふわりと宙に浮いて、空へと昇っていく。
「待って。私も連れて行って」
私は、重い体を思い切り伸ばして、黒い夫の傘の柄を、ようやく掴んだ。連れて行って。あなたたちの世界に、私を連れて行って。
硬くて冷たいはずの傘の柄が、温かくて柔らかいものに変わり、子供たちの声が近くに聞こえた。もうすぐ逢える。空の上に行ったら、みんなで虹を見下ろそうね。
目が覚めたら、夫が私の手を握っていた。
「よかった。戻ってきてくれたんだね」
夫の後ろで、子供たちが泣いていた。身体の痛みと、子供たちの腕や足に巻かれた包帯で、私は現実を知った。
あのバスの事故で、私だけが意識不明の重体だった。土砂降りの世界から、夫と子供たちが私を救ってくれたのだ。
「お母さん、虹が出てるよ」
桃香が小さな手で指さした。夕菜がカーテンを開けてくれて、海斗があそこだよと教えてくれて、草太が上手に絵を描いてくれた。
明日、我家の軒先に、傘の花が咲く。