佳作「最後の一段 石黒みなみ」
混雑しているエスカレーターを避けて、裏口へ続く階段へ回った。エレベーターもない古いスーパーだ。制服のズボンのポケットに手をつっこんだままおりていくと、最後の一段で誰か立ち止まっている。さっき二階の売り場で俺の近くにいた爺さんだった。
「兄ちゃん、ちょっと頼む」
爺さんは情けなさそうな顔をして手すりにしがみついている。足元の段ボールから、しょうゆのボトルがのぞいている。
「二階で買い物したんだが、重くてもう動けん。駐車場まで運んでくれるとありがたい」
めんどくせえな。年よりはエスカレーターに乗ればいいのに。急いでるんで、と言いかけて気がついた。ここの駐車場のフェンスは低い。授業を午後からサボるとき、塀をよじ登って飛び降りることに比べるとなんでもない。家まではかえって近道だ。俺はうなずいて段ボールを持ち上げた。意外と重い。
「助かるよ。出たところすぐの黒い車だから」
爺さんは薄く笑い、すたすた歩き出した。元気じゃないか。慌ててついて行った。踏んづけた靴のかかとが、古くでこぼこした床にひっかかって歩きにくかった。
爺さんについて裏口を出たとたん、後ろから腕をつかまれた。振り向くと年配の店員だった。
「精算、まだですね」
え、と思って前を見ると、爺さんは黒い軽自動車めがけてものすごい勢いで走りだした。そのあとを別の店員が追って行った。
事務所に連れて行かれた俺は、必死になって事情を話した。学校名も名前も書かされ、何度も細かいいきさつを確認されてから、店員は言った。
「気の毒だったね。あの爺さんは常習なんだ」
いつもあの階段の最後の一段にいて、親切そうな人を見つけては同情を誘い、荷物を運ばせてさっさと車で逃げ去るそうだ。今までも何度かつかまっているという。
「しばらく見なかったので油断していた。若い奴が追いかけていったが、取り逃がしているかもしれない。大きなスーパーのようにゲートで止める機械があればいいんだが」
増改築を繰り返した古い建物で、歩きにくいのか年よりの客は少ない。あんなところに爺さんがいるなんておかしいと思ったのだ。
「大丈夫か、顔色が悪いよ。ショックだっただろう。学校か家に連絡して迎えにきてもらおうか」
「いえ、大丈夫っす。こんなことで学校に連絡なんてダサすぎるんで」
俺は必死に首を振った。
「この間は女の子で、ショックが激しくて泣きっぱなしでね。かわいそうに。学校の先生に迎えに来てもらったよ。だいたい、中年のおばさんか、おとなしそうな感じの若い子がひっかかるんだが、・・・」
店員が俺を見て少し不思議そうにしているのがわかる。耳にピアス、ゆるいネクタイ、ずらしたズボン、かかとを踏んだ靴。こんな俺が爺さんに親切にして、しかもだまされるなんて。くそ。
「ほんとに、大丈夫っす」
俺はもう一度言った。年配の店員はよし、わかった、という風に俺の肩をぽん、と叩いた。
外に出ると向こうから、さっきの爺さんが若い店員に連れられてやってきた。つかまったんだな、ざまあみろ。爺さんはしょんぼりした様子で歩いてくる。店員は優しく俺に話しかけた。
「気の毒に。気をつけて帰りなさいよ」
「ありがとうございます」
すれちがいざまに、爺さんの顔をよく見てやろうと思って、少し近づいた。爺さん、俺のほうを見ると薄笑いを浮かべた。
次の瞬間、踏んづけていた靴のかかとがずるっとすべり、俺は派手に転んでいた。爺さんに気をとられて、段差があるのに気がつかなかったのだ。その拍子にポケットから飛び出し、カシャンとアスファルトの上で音を立てたものがある。透明なビニールの袋の中で金色のチェーンネックレスが光った。
ぶざまに仰向けになった俺に店員の手が伸びてきた。手を差し伸べてくれたのではない。ネックレスを拾ったのだ。店員は無言で俺を見下ろした。
二階で万引きしたチェーンネックレスだった。ちきしょう、なんとかやりすごせたと思ったのに。俺は立ち上がり、ズボンについた砂をはたいた。爺さんを見ると、歯抜けの口を大きく開けて声を出さずに笑った。
知っていたのだ。二階で俺があれをポケットに入れたところを見ていたに違いない。それで俺に目をつけたのだ。
「もう一度、事務所まで来てもらおうかな。学校にも連絡だ」
俺は力なくうなずいた。