佳作「KAGE 楠原靖張」
退屈な午後の授業、開いた教科書の余白にそのメッセージは書いてあった。
『俺はお前の秘密を知っている』
僕はどきりとして、そっと顔を上げ教室を見渡した。誰も僕に注目している様子はなかった。メッセージは鉛筆書きの強い筆圧で殴り書きのように書いてある。
いったい誰だ。僕のどんな秘密を知っているのだ。その答えは次のページに書いてあった。
『お前は川嶋紀香が好きだ』
僕は脳みそを直接殴られたような衝撃を受けた。何故、誰かがそのことを知っているのだ。それは僕の心の中にだけにある秘密のはずだ。誰にも悟られないよう素振りにも出したことはない。知らぬ間に独り言でも言っていたのだろうか。
川嶋紀香はクラスのアイドルで、友達もいない目立たぬ存在の僕とは対極の存在なのだ。僕なんかがひそかに彼女に恋していることを知られたならば、僕はこのクラスにいられなくなる。僕はそのメッセージを慌てて消しゴムで消した。
ページを捲ると更にメッセージが書いてあった。
『ばらされたくなければ、これからは俺の言うことを聞け。KAGE』
KAGEとは誰だろう。クラスに『かげ』が付く名の人間はいない。影の存在という意味なのだろうか。彼は僕にどんな命令をするつもりなのか。僕はKAGEからのメッセージのことで頭がいっぱいになり、それから授業など全く上の空だった。
次の日の一時限目、国語のノートにKAGEからのメッセージがあった。
『次の先生の質問に手を上げて答えろ。間違えればアウトだ。KAGE』
これまで僕はわかっている問題でも、自分から手を上げて答えたことはなかった。手を上げたのは僕だけで、僕は汗をかきながら国語教師から問われた主人公の気持ちを答えた。
次の命令は、机の中のメモにあった。
『次の体育のサッカーでゴールを決めろ。KAGE』
いつもパスが来ないように逃げ回っていた僕は必死になってボールを追いかけ、偶然にもゴールすることが出来た。
KAGEの命令は不可解だった。KAGEは僕を観察できるクラスメートの誰かであることは明らかだが、僕にこのような命令をしてKAGEにどんな得があるのだろう。
おそらくKAGEは僕に出来そうにないことを命令して、僕が失敗するのを待ち構えているのだ。
KAGEからのメッセージは、毎日、様々なところに記されており、その命令の難易度は次第にエスカレートしていった。
『次の英語の小テストで満点を取れ。KAGE』
『今日の昼飯はクラスメート三人以上と一緒に食え。KAGE』
『次の授業中にギャグを言って皆を笑わせろ。KAGE』
『今日中に友達を作れ。KAGE』
『今日の放課後、誰かとカラオケに行け。KAGE』
『誰かがいじめられていたら助けてやれ。KAGE』
『期末テストでクラス一位を取れ。KAGE』
僕は必死になってKAGEの命令を実行し、自分でも信じられないことにそのすべて成功していた。やがて僕は自分がKAGEの命令を心待ちにしていることに気付いた。僕がKAGEからのメッセージを楽しみにするようになったころから、KAGEからのメッセージはたまにしか現れなくなった。
学年末になって、一カ月ぶりにKAGEからのメッセージを制服のポケットから見つけた。
『これが最後の命令だ。川嶋紀香に告白しろ。KAGE』
僕はもうKAGEが誰だか気付いていた。僕はKAGEで、KAGEは僕なのだ。
今日の放課後、僕は川嶋紀香に告白するつもりだ。もうKAGEからの命令に失敗したとしても恐れることはない。