選外佳作「名乗り合い CHARLIE」
夫が会社へ出かけた。息子は高校に、娘は中学に向かった。さてと。今日は生ゴミの日だ。私は青いポリ袋の口を縛る。
郊外の住宅街。ゴミステーションへ向かうまで、似たようなつくりの家々が並んでいる。
と。
これまで空き家だった私の隣の家の玄関から、青白い顔に金色の髪の毛をした、痩せて長身の女性が出て来る。手には私と同じように、青いポリ袋を提げている。
「おはようございます」
私は取り敢えず声をかける。いくら近所づきあいが希薄になった時代とはいえ、引っ越して来たからにはせめて隣人にくらいあいさつはしないといけないんじゃないか、という、常識を疑う気持ちがあった。
「おはようございます」
その人は案外あっさりと微笑んだ。顔だけを見ると北欧の人のように冷たいのだけれど、笑うと、大きな目と大きな口が近づいて、とても親しみやすさを感じさせる。
私は彼女がエントランスから玄関の扉を開けて出て来るのを、立ち止まって待った。その家にはまだ表札は付けられていない。
「いつ越して来られたんですか?」
私と並んで歩く彼女は、私よりも頭一つ分背が高い。私の夫よりもずい分大きい。
「昨日です。家の前を、これを持って歩く人が何人か見えたので、今日はごみを捨てる日なのかなと思って出て来たのですが、違いますか?」彼女はゴミ袋を持ち上げ、外見と違和感を覚えるほどに流暢な日本語で答えた。
「ええそうですよ。それで、どちらからいらしたんですか?」
私は、ほとんど化粧をしていない彼女の顔に、しみもしわも少しもないことや、そのうらやましいほどの肌の張りから、まだ二十代半ばなんだろうと推測する。
「……」彼女はしばらくのあいだ黙って、アスファルトを見下ろしながら歩みを進めた。
「ご主人のお仕事は?」
「……」
彼女はまた答えない。
「あ、いいんです。ごめんなさい、立ち入ったこと訊いてしまって。私隣の鈴木といいます。よろしくお願いしますね」
「え……!」
彼女は立ち止まって私を見た。
その表情は強ばり、もともと青白い肌の色は、ますます青みを増している。
「ごめんなさい。私また何か失礼なこと申し上げました?」
私のほうが戸惑ってしまうじゃないか。
「スズキさんって、お、お名前ですか……?」
彼女は声を震わせる。
「ええそうですよ。あなたは?」
「ああ……!」
彼女はゴミ袋をその場に手放し、しゃがみこんで顔を伏せた。そして泣き始める。
どうして彼女は泣いているのだろう? その理由を知りたいから、私は彼女のそばから離れない。
「ねえ、泣かないで」私も彼女に目線を合わせ、彼女の背中に手を当てる。
彼女は一瞬体を震わせたが、次第に泣きやんでいった。
「ごめんなさい」ようやく彼女は顔を見せた。目の周りが真っ赤で……恨みごとを言う気も失せさせるほどに愛らしい。
「私、何か悪いこと言った?」私は彼女にあどけなさを感じ、思わず敬語を使うのを忘れていた。
「スズキさんは、親切な人ですね」
「どうして?」
「私を慰めてくれたから」
「当たり前じゃないの」
「これまでの人……地球人は、私が泣き出すと逃げました」
「地球人?」
「はい。私は四十二光年先にある恒星の、第四惑星から来ました。約三十分で行ける技術があります。夫は母星の会社で働いています。
これまでこの星のいくつもの国、日本のいくつかの街で暮らしました。でもみんな、私が泣き出すと逃げました。その度に住まいを変えて来たのです。
私たちの星では、名乗り合うことは、けんかを始めることを意味するのです。この星の人たちが、会うとすぐ名前を訊ねて来たり自ら名乗ったりするので……こわいのです」
「なぁんだそんなこと! ここでは当たり前よ。早く慣れて、仲良くなりましょう」
「はい。わ、私は、ロウ・ネリスといいます」
彼女は恐る恐る言った。ロウが苗字だそうだ。
彼女と私はすぐに親しくなった。彼女は自分が異星調査員なのだとも打ち明けてくれた。
しかし。 彼女が異星人だということを、宇宙開発研究をしている夫に話すべきかどうか、私は悩んでいる。