選外佳作「たぬきの神さん 八月美咲」
パワースポットとして有名なお稲荷さんの裏手にその祠はあった。大きなお稲荷さんに隠れるようにひっそりと。参る人もいないようで、古ぼけた祠には蜘蛛の巣がかかっている。私がその祠に手を合わせようと思ったのは、ぼろぼろののろしに色あせた文字で『縁結び』と書かれていたからだ。三ヶ月前に彼氏と別れた私は、やっと失恋の痛手からも立ち直り、ちょうど新しい恋をしたいと思っていたところだった。賽銭箱に十分ご縁がありますようにと十五円入れ手を合わせる。
「どうか神さま神さまイケメンの彼氏ができますように、できたら身長は百七十五センチ以上で、目は切れ長の一重で・・・・」
ごそりと音が聞こえたので目を開けると、なんと祠の奥から一匹のたぬきが出てきた。体が半透明に透けている。聞けばこの祠の神さんだと言う。表のきつねの方が格が上でここでは肩身の狭い思いをしているらしい。
「差し入れはないのか?」と聞いてきたので、「あ、お供え物ですね」と答える。聞けば天かすが好物らしい。私は次の日天かすをもってたぬきの神さんを訪れた。神さんはすぐに出て来て美味しそうに天かすを食べる。天かすを食べるのは五十年ぶりらしい。たま?に人が参ってくれるが、差し入れをしてくれる人はおらず、誰も願い事をしていかないそうだ。私はなんだか可哀想になってきて、次の日も天かすをもってたぬきの神さんに会いに行った。
そのうちそれは私の日課になった。たぬきの神さんはよく愚痴をこぼした。主に表のきつねの神さまのことだった。格は高いが冷たいとか、願い事を叶える力はあるがやり方が合理的すぎるように感じるとか。ふむふむと私は神さんの話を聞いた。
よほどたぬきの神さんは私を気に入ったのか私の家にまでついて来るようになった。一応神さまだし、可愛かったので気にはならなかった。家にあったどん兵衛緑のたぬきにお湯を入れてあげてみると「こんな美味しいもの生まれて三百年間食べたことがない」と感激する。三百年が長いのか短いのかよく分からないが、喜んでもらえて私も嬉しい。
しばらく私の家に居着いたたぬきの神さんは言った。
「いろいろ世話になったし、そなたの願い事を叶えてやろう」
「え!?できるんですか!」
最近ではただのたぬきに思えてきてしまっていたが、そうだ神さんだったのだ。私は最初に祠でお願いしたようなイケメンの彼氏が欲しいと言うと、たぬきの神さんは一瞬悲しそうな顔をしたが、うなずくとそのまま私の部屋を出て行った。
数日後、私は身長百七十八センチ、切れ長一重のイケメンと道端で出会った。彼はそのまま私の家に転がり込み、半分ヒモのようになったが、まあいいかと私は思った。私は彼がたぬきの神さんなのだと薄々感づいていて、どん兵衛緑のたぬきをそっと差し出した。するとどん兵衛赤いきつねの方がいいと言う。ちょうど買い置きがあったのでそれをあげると、「美味しい美味しい」と貪るように食べる姿がいつの間にかきつねになっていた。
聞くとたぬきの神さんの知り合いだと言う。たぬきの神さんは切れ長一重の人間に化けられないので、自分が頼まれたのだと言う。
私は神さんの祠に行き「たぬきの神さーん」と呼ぶと、奥から神さんが出てきた。「あんなことしなくてもいいんですよ。さ、私と一緒に帰りましょう」たぬきの神さんは頭を垂れて私の後ろをついて来た。
それから神さんはずっと私の家にいる。何度か人間のイケメンに化けようとしてくれたが、どうも私のタイプと微妙に違うので、だったらそのままの姿でいいですよ、ということになった。ちょっとペットを飼っている気分でそれはそれでいいような気がした。
ときどき神さんの居た祠の前を通ると、たまに人が手を合わせている。それを見ると「ああ、そこには神さんはいないんだけどな」と思ってしまう。神さまのいない神社や祠があるというが、もしかしたらこんな感じで神さまはどこかに居候しているのかも知れない。
にしても、どういうことか全く私には彼氏ができない。一応このたぬきの神さんは縁結びの神さまではないのか。まさか神さんと私の縁結びではあるまい。神さんの丸い背中を見ながら私はふとそんなことを思った。これでは神さまは神さまでも貧乏神みたいじゃないか。とは言っても、可哀想でたぬきの神さんを捨てる気にはなれない。まあ、いいか。
たぬきの神さんは毎晩家を抜け出して表のきつねの神さまのところにお参りに行っていた。
「ずっとあの家にいられますように」
力の強いきつねの神さまにとって簡単な願い事だった。