佳作「与えられた役 広都悠里」
目の前のことを必死でこなしているうちに日々は過ぎる。
それをするのは他のだれかでも構わない。そう思うと頑張ることも虚しい。
ポーン。
涼やかな音と共にエレベーターの扉が閉まった時、並んだボタンの24という数字に目が釘付けになった。
二十四階から飛び降りたら、確実だ。ほんの数秒我慢すればすべてが終わる。
震える指で24のボタンを押した。
妙に早く大きくなる心臓の音と共にフロアへ足を踏み出すと、広々とした窓すべてに鍵すらないことを知りがっかりした。
「ああ、そうか」
それならこのフロアに用はない。
引き返そうとしたその時、EXITの文字と走るヒトの緑色のマークが目に飛び込んできた。
非常口。
つまり外階段があるってことだ。
マークを見上げて早足で歩き始める。
「よし」
こんな人生、もう終わらせてもいいよな。
扉を開け、足を踏み出す。
「え」
先客がいた。
肩までの黒い髪、ひらひらチェックのスカート、紺色のハイソックス、どこからどうみても女子高生だ。
ドアの音に振り向いた顔の、目と口がぽかんと丸くなる。
「羽鳥ユウヤ? なんで?」
返事に困った。飛び降りようかと思って、とは言えない。
「本物?」
近寄ってきて顔を見上げる。
「そんなわけないか。でも、似てる」
「……本人だから」
「嘘だあ。じゃあさ、歌ってみて」
「は?」
「来週、新曲発売だったよね?ジグザグバレンタイン」
目の前の見知らぬ女の子が自分のことを知っていることに驚く。
いや、たくさんの人が自分のことを知っているとわかってはいた。でも、そのことを実感したのは初めてだった。
「本物なら、歌えるよね?」
びよおおおおお、と強い風が吹いて髪やスカートや着ている上着の裾がめくれる。
「きゃ」
慌ててスカートを押さえようとした女の子はバランスを崩してよろめいた。
「あぶな……」
体がぶつかる。女の子の肩をつかんだまま、ずる、と足が滑った。
ずごん、鈍い音がして手すりにぶつかった腕に痛みが走る。
「大丈夫?」
「大丈夫、です。ごめんなさい」
そろそろと僕の腕の中から体を離しながら、両手で顔を覆う。
「どうしたの?」
「大丈夫、なんて」
指の間から震える声が聞こえた。
「大丈夫じゃなくてよかったのに。だってあたし、飛び降りるつもりでここに来たんだから」
「えーと、じゃあ、一緒に飛び降りる?」
「はい?」
聞き返した後、いきなり怒りだした。
「それじゃ心中になっちゃうじゃん。ひとりで死ななきゃ意味ないよ。あたしのことをいじめていたやつらに復讐するために死ぬんだから。遺書の中に、あいつらの名前を書いてやったの。一生後悔させてやるんだ」
そう言いながら胸ポケットのところに差し込んだ封筒を指した。
「でもそれ、きみにわかんないじゃん」
「え?」
「死んじゃったら、後悔している姿を見ることもできないし、相手が反省しなかったら死に損だよ。それって悔しくない?」
女の子はうつむいてしばらく考えていたが「そうだね。あいつらのために命投げ出すなんてばかみたい」
髪をかき上げながら顔をあげた。
「あたしにそんなこと言うなら、あなただって」
はい、カットです。声が響く。
しかしこのドラマ、なんだか自分自身のことが描かれているみたいで胸がざわざわする。
こういうの、シンクロっていうのかな。
羽鳥ユウヤはどうなっていくんだろう。台本をぺらぺらめくる。後半部分はまだ台本ができていないから結末は不明だ。
神様が、与えてくれた役かな。そんなことを思ってちょっと笑った。