選外佳作「雨が降るまえに 青川倫子」
尾行は成功した。大きな公園についた。空を見あげるといつの間にか雲行きがあやしくなっていた。最近の天気予報はあてにならない。視線を池の向こう側へうつすと、白いベンチの背もたれと茶色い後頭部が見えた。思わず溜め息をつく。自動販売機でペットボトルのお茶を買ってからベンチへ向かった。
「隣に座っていい?」
声をかけると驚いた顔でわたしを見あげた。目をしばたたかせている。
「もちろんだよ」
少し間があった。
「はい、お茶」
ペットボトルを差しだすと、嬉しそうに礼を言って受けとった。
隣に座るとすぐ本題に入った。
「あのね、ちょっと困ったことがあるの」
「なにかあった?」
「落とし物をしたの」
「それは大変だ。警察に届けたのか?」
「届けない」
「どうして」
「恥ずかしいでしょ?」
少し待ったが黙っているので続けた。
「ベランダに干してたの。日陰のところよ。ちょうど外から見えにくいところ。風が強くなったから落ちたんだと思う」
「それは落とし物っていうのか?」
「拾ったひとがいれば落とし物だよ」
「拾ったひとがいるとどうして分かるんだ?」
「拾ってるのを見たの」
様子をうかがうと、ペットボトルのふたを開けゆっくりとお茶を飲んでいた。わたしは辛抱強く待った。聞こえないのか聞こえないふりをしているのか分らなかった。
「落とし物はなくて困るの?」
「困るってことはない」
「それなら諦めればいいじゃないか」
「お気に入りだから嫌だよ」
「落とした物は汚いと思わないの?」
「洗えばいいもの」
「誰かが拾った物でもいいのか?」
「うん、いいよ」
「頑固だね」
「頑固にもなるよ。高かったんだよ」
「なるほど」
下を向いてペットボトルをもてあそんでいる。
「ぼくは温かいお茶がよかったな」
話をそらすのが下手だと思った。
「冷たいのしかなかったの」
「そっか。それじゃ仕方ない」
そう言うと空を見あげた。わたしもつられて見あげた。濃い灰色の雲が広がっていた。降りそうだ。わたし達は傘を持っていない。急いで話を進めた。
「わたし好きなひとがいるの」
「そうなの?」
「まだ片思いだけど、明日デートするの」
「デートか。やるね」
「まあね。明日のデートで勝負したいの」
「勝負か。やるね」
「うん。だから落とした物が必要なの」
「言ってることがおかしいよ」
「なんで?」
「さっき落とした物はなくても困らないって言ったのに、いまは必要って言ってる」
「やっぱり困る」
「本当に必要だと思ったら最初から困るって言うはずだよ。きみは落とした物がなくても困らないんだよ」
「さっきから理屈っぽいけど、後ろめたいことがあるからじゃない?」
「なんの話をしているのか、ぼくには分らないよ」
ぽつりぽつりと頬に冷たいものが触れた。雨だ。もう限界だ。わたしは立ちあがった。
「おじいちゃん! わたしのウイッグ返してよ!」
おじいちゃんの頭の上にのっている茶色いロングのウイッグを指して叫んだ。
好きなひとがウイッグをつけたわたしを可愛いと褒めてくれた。そしてデートに誘ってくれた。返してもらわないと明日つけていけない。
「きみの落とした物だとどうして断言できるんだ」
「聞こえてなかったのね。さっき言ったけど拾ってるところを見たの」
「え、見てたの……」
「どうしてわたしのウイッグをつけてるの?」
「茶髪のロングにしてみたかったんだ」
雨は容赦なくわたし達に降りそそいだ。ウイッグは雨に濡れておじいちゃんの顔に張りついている。別の星の生き物を連想させた。