佳作「手袋 佐藤清香」
右手しかない赤い手袋をじっとみつめた。片方の手袋は、きっと、通学路のどこかに落ちているはずだ。友達と雪合戦をして、冷たく濡れてしまった手袋をコートのポケットにしまうとき、するりと片方だけ落ちたのだ。
東京に雪が降って、めずらしくたくさん積もった今日、とうちゃんとかあちゃんが「リコン」した。かあちゃんが家を出ていってから、私は、とうちゃんのばあちゃんの家に住んでいる。「リコン」が決まったから、これから、ずっとばあちゃんの家に住むようだ。
赤い手袋はすごく気に入っていた。一年前の日曜日、とおちゃんとかあちゃんと私で、おでかけをした。いつも喧嘩ばかりの二人がめずらしく仲がよくて、右手はとおちゃん、左手はかあちゃん。三人で手を繋いだ。私はうれしくて、有頂天だった。調子に乗って、雑貨屋さんで売っていた赤い手袋をおねだりした。ほんとうは、ウサギのぬいぐるみが欲しかったけれど、この雰囲気を壊したくなくて、それは言わなかった。手袋ならば、「しょうがないなぁ」って買ってくれる気がした。今、思うと、あの時の私は、この「あたたかな時間」の証拠を、かたちのある物で残したかったんだと思う。
はやく大人になりたかった。そうすれば、ひとりでも生きていけるのだ。今、暮らしている、とおちゃんのばあちゃんちは、古くて怖い。私は、夜、トイレにひとりでいけなくて、ばあちゃんを何度も起こした。けれど、ばあちゃんは死んでいるみたいに起きなかった。私は、がまんしきれず、お漏らしをしてしまった。それに気付いたばあちゃんは、私をひどく叱った。生まれてはじめて叩かれて、私は泣いた。たまに会うばあちゃんは優しいけれど、いつも一緒にいるとすごく怖い。あと、ごはんも嫌だ。いつも茶色いおかずが食卓に並ぶ。甘じょっぱくて、同じ味ばかりだ。私が、少しでも残すと「昔は物が無くてね」と絶対に言う。とおちゃんのことは好きだけど、いつも仕事で顔を忘れるくらい帰ってこない。
かあちゃんは、優しい。わたしを可愛いって撫でてくれて、眠るまえには絵本を読んでくれる。でも、急に怒ることがあって、かあちゃんが違う人になる。髪を?きむしり、私を責めてこういうのだ。「役立たず」って。ばあちゃんいわく、かあちゃんは、「心の病」だそうだ。大好きだけど、かあちゃんと暮らすと引っ越さなければならないし、違う人がまたでてきたら、怖い。だから、私はひとりで暮らしたい。できれば、南の島で、可愛いポケットモンキーと一緒に暮らすんだ。
じっと手袋をみた。片方だけの手袋は「役立たず」だった。私はコートを着た。真夜中に家を出るのは、はじめてだ。ばあちゃんは死んだように眠っているから、きっと気付かない。「手袋を買いに」かあちゃんが読んでくれた大好きな絵本。私は「手袋を探しに」そっと、家を出た。
まっくろな夜にまっしろな雪。いつも見る無表情な町並みが、絵本のなかの一ページに変わり、夢をみているような心地よさが、私を包んだ。昼間の雪は柔らかだったが夜の雪は硬い。長靴で踏むと、「ザァァクー」と硬い音をたてる。誰も踏まれていない場所を、わざわざ探し、夢中で「ザァァクー」を何度も聴く。雪はしんしんと降っていた。雪の降る、このせかいは「ほんとう」を忘れさせてくれた。私は、このまま雪のこどもになりたかった。
そんなことを思いながら、手袋を探していると、街灯の下にキツネさんが立っていた。
「こんばんは」
「こんばんは」
キツネさんは、わたしを待っていてくれた。まっすぐ、キツネさんを見つめると、こっくりとキツネさんは頷いた。
「はい。そうです。待ってました。あなたに大事な手袋を渡したくて」
手袋の赤が眩しくて、私は泣きそうになって、声が掠れた。
「キツネさん、ありがとう。あのね、私これから、どうすればいいんだろう」
キツネさんは、静かに言った。
「いつしか、あなたは大人になります。強くて優しい、とても素敵な大人になります。」
それを聞いて、泣いた。わんわん泣いた。
「雪が降ったら、また会えます」
キツネさんはひそやかに笑って、雪が降る東京の街へ消えていった。
カーテンから、朝の薄い光がのぞき、私は目覚めた。机に置いてある右手だけの手袋をぼんやりと見つめていると「ぐぅ」とお腹がなった。私は、布団からとび起きて階段をいきおいよく降りた。台所にいる、ばあちゃんの背中に「おはよう!」と自分でもびっくりするくらい大きな声で挨拶をした。
窓の外は、すっかり晴れていた。積もった白い雪は、笑うようにきらきらと輝いていた。