選外佳作「時価に換算すると 三浦幸子」
真美と付き合って、もう三年になる。ふたりはいつも、将来の結婚について話していたから、プロポーズしてもすぐにいい返事を貰えると思っていた。ところがだ。真美が言うには、僕には経済力がないからまだ結婚は出来ないと言う。
「経済力って何?そりゃあ一流の会社でもないし、給料だってたくさん貰っているとは言えないさ。けど、なんとか暮らして行くだけの働きはあるじゃないか」
「じゃあ、貯金は?」
「無い……」趣味の登山で使い果たしている。
「ほらごらんなさい。二人で住む家はどうするのよ、道具だって最低限でも揃えなくちゃならないのよ」
「えっ、嫁入り道具とかって、女が持って来るんじゃないの?」
「いいわよ持って来たって。じゃあ男のあんたが、家をなんとかしなさいよね」
ぐうの音も出ないとはこのことだ。それからの真美は、会うたびに「貯金増えた?」と訊いてくる。
「聞いて聞いて!俺、財布拾ったらさ、お礼にって一万円貰ったんだぜ」同僚の信也が嬉しそうに朝一で報告して来た。なんでも警察に届けておいたら持ち主が現れ、お礼をしてくれたという。財布に現金がたくさん入っていたらしく、一万円も貰えたのだ。
手っ取り早く金を手にするには、宝くじか賭けごとかと思っていたが、僕のように元手も勝負運も無しとなると、落とし物を拾って礼を貰うというのも、ひとつの方法かもしれない。いいことを聞いた。
ある日曜日、もうこれを独身最後の記念すべき山登りにしようと出かけた。本当ならウェアーを新調し海外まで遠征、といきたいところだが、真美がうるさい。その両方をあきらめて近くの山を目指した。しょぼい記念登山だ。
しかし絶好の天気で気持ちいい。春の穏やかな太陽は、若葉たちをキラキラと輝かせている。足元に目を移すと、やわらかそうな草の中に光っているものがある。
よく見ると鍵だった。キーホルダーに、たくさんの鍵が束ねてある。落とした人間はさぞ困っているだろう。
僕は頂上まで会う人すべてに「鍵を落としていませんか?」と声をかけていった。だれも落としていなかった。今度は下りる時も声をかけて歩いた。落としたことに気付いて、戻ってきているかもしれないと思ったのだが、だれも落としていなかった。
信也の言葉を思い出し、警察に向かった。色んな事を根掘り葉掘り聞かれ、やっと解放された頃には日も暮れていた。財布じゃなく鍵だ。疲れた身体を引きずり帰った。
「また山に行ったんだって?お金を貯める為に我慢するって言ってたじゃない。舌の音も乾かないうちに……」いいかげんうんざりと真美の言葉を聞いていると、鍵の持ち主という人から電話がかかってきた。
「このたびは、ご親切にありがとうございました。あそこに付いていた鍵は、どれも大切なものばかりで。家や別荘の鍵の他に、金庫や車のまでが付いていまして。いやあ、助かりました。それで失礼ですが、お礼を差し上げたいと思っているのですが……」
僕の頭はめまぐるしく動いた。
この人はすごい金持ちみたいだ。家、別荘、車、金庫の金。すべて併せて何億にもなるんだろう。鍵そのものに金銭的価値はないかもしれないが、それに付随するものの値段はハンパじゃない。金でなく物を拾った場合、時価に換算して礼が貰えると信也に聞いた。
鍵を落としたことで、この人はすごく困ったはずだ。僕の事を恩人だと思っているにちがいない。恩人には相当の礼を出しても惜しくないと考えての電話だろう。胸が高鳴る。
電話の向こうで、人の良さそうな声が続いた。
「ところで、甘いものはお好きでしょうか?」