童話賞入選への道②:童話の文章は簡潔・平易に


子どもは読解力、語彙力の面では遠く大人に及ばない。だから硬い肉を細切れにして一さじずつ食べさせるように書く。その技術を紹介する。
文章は短くても表現効果は高く!
読めば意味が頭にすっと入ってくる文章
童話(とくに幼年童話)の文章は、簡潔でわかりやすいことが鉄則。たとえば、以下のような文章。
星組の男の子たちは、つみ木で立派な船を作りました。船の先はとがっていて、そこがうんてん室です。うんてん室には、赤や黄色のきかいがたくさんあります。
(中川李枝子「くじらとり」)
まずセンテンスが短い。短いだけでなく、最初に「立派な船を作りました」と概略を示し、「船の先は」「うんてん室には」と視点の移動がスムーズ。また、変に凝った表現も、むだな挿入句もない。
何が書かれているのかと考えなくても、すっと頭に入ってくるよう書かれている。こうした書く順番、表現方法もわかりやすさに影響する。
子どもの主人公による自然な語りを
一人称で童話を書く場合は、すべての説明は主人公の子どもが語っていることになる。
大人の小説なら「南岸低気圧」と書いてもいいが、小学2年生が語っているのであれば、これでは違和感がある。2年生では「朝起きたら、くつがうまるくらいの雪がつもっていた」のように自分の目で描写するほうが自然だ。
しかし、「南岸低気圧」という言葉を使わなくてはならないときもあり、そのようなときは「冬に低気圧が日本の南側を通ると」のように書き換スるわけだが、しかし、主人公にこの説明ができること自体が不自然ということもある。
そのようなときは「……ってお父さんが教えてくれたんだ」のように書く手もある。
童話は文章が短いだけに効率の良い表現を
ヘッドライトに照らし出されたきりさめ明るみの中に、チラチラと霧雨のふるえているのが見えます。
(吉野源一郎「君たちはどう生きるか』)
ここでは「チラチラ」というオノマトペ(擬音)が使われている。
へたにやると幼稚な文章然とするが、擬音は少ない文字数で高い表現効果を得られるので便利だ。
また、「ふるえている」という擬人法が選択されている。一種の比喩だが、これも短い言葉で霧雨の状態をよく表している。
グレードと題材と文章と枚数
童話
小学校低学年
いわゆる幼年童話。書くときの目安は10枚~30枚。まだ論理的思考にない年代ゆえ、直観でわかる話がいい。題材も小学校低学年になじみのあるもので、構成はシンプルに。過度の描写、複雑な設定NG。
小学校中学年
目安は10~50枚。自我が芽生え、人の痛みや悲しみにも敏感になる。顆材とする世界も幼年童話より広くなる。伏線も理解でき、簡単な謎解きものもOK。時間の逆行も可能だが、あまり複雑にしないこと。
小学校高学年
枚数的には300枚でも可能。
物事を客観的、論理的に見られるようになる。自分のこと、社会のことにも目を向ける。ユーモアやウィットも理解できる。大人のダークな部分を扱う場合はそれなりの意図が必要。
小学校中学年向けの実例
「これは、レモンのにおいですか?」
ほりばたでのせたお客のしんしが、はなしかけました。
「いいえ、夏みかんですよ。」
しんごうが赤なので、ブレーキをかけてから、うんてんしゅの松井さんは、にこにこしてこたえました。
きょうは、六月のはじめ。
夏がいきなりはじまったようなあつい日です。松井さんもお客も、白いワイシャツのそでを、うでまでたくしあげていました。(あまんきみこ「白いぼうし」)
小学校高学年向けの実例
左手に大きいのが守門山だ。そのむこうのむらさき色は烏ばし帽子岳。
「すじが見えるぞ。雪がのこっている。」
健がいった。あたしは今ごろ、そんなはずはないと思ったが、健は、雪だ、雪だといいはった。とうすけあたしら六年生、つまり、健、敏之、幸助、登、ゆりえ、けい子、それにあたしは、薬草とりに山にはいってきたのだ。せん薬草というのは、ゲンノショウコのことだ。土用干しを煎じると、腸の薬になる。(岩崎京子「神かくしの山」)
児童文学
中学生
部活動、受験、将来、進路、異性への興味、生きる意味など、小学生のときとは世界が様変わりする。
描写や語彙、知識、社会経験は大人に及ばないが、書き方は小説と変わらない。というより小説。
高校生
いわゆるYA(ヤングアダルト)。これは「若い大人」という意味で、中高生向けの小説。思春期に立ちふさがる主として心の問題を扱う。
明るい成長譚もあれば、病気や障害を扱った重いテーマの作品も。
中高生向けの実例
世間知らずで泣き虫で、夜中に一人でトイレにも行かれないおふくろが、いったいどうして女手一つで、これまで僕を育ててこられたのか、ふしぎには思っていた。それでも、女優というのはよほどもうかる商売なのだろうと、僕はのんきに考えていた。
五月。僕は中学にも慣れ、さっそく午後の授業をさぼって映画をみに行った。すると電車の中に、桜色の着物を着たおふくろがいた。
(どこに行くんだろう)
そうは思っても、こちらも学校をぬけだしてきた身、うかつには声もかけられず、遠くからながめていた。(江國香織「草之丞の話」)
場面の表現と主人公の行動
場面の表現
童話では、「この人はこういう人」とは説明せず、場面を通じて表現することがある。
下記は、この男の人に教養がないことを示す場面。では、それがどんな場面か推測してみよう。
「坊、一人でどこへ行くんだ」
男の人が少年に話しかけた。
「町だよ」
そこで二人は話しはじめた。
「坊、なんて名だ」(新美南吉「うた時計」)
原文は新美南吉の「うた時計」から引用(一部文章を省略)したもの。原文ではこのあと、この男の人の人となりを、坊に「廉」と名乗られてもその漢字がわからないという出来事で表現している。
「ふうん。どういう字書くんだ。連隊の連か」
「ちがう。てんをうって、一を書いて、ノを書いて、二つのてんをうって……」
「むずかしいな。おじさんはあまりむずかしい字は知らんよ」(新美南吉「うた時計」)
主人公の行動
童話の主人公は、設定したキャラクターどおりの貫通行動をする。
下記は、いつもばんやりしているという設定のひょう(豹)が主人公の童話。このひょうが動物園を出て散歩に行くと、当然、まわりの人は怖がって逃げてしまう。
このとき、ひょうはどんなリアクションをとるだろうか。答えを見ずに考えてみよう。
ひょうのぼんやりはひとりごとをいいながら、歩いていきました。
人にあうと、ちゃんと、「こんにちは。」とか、「おあいできてうれしいです。」とか、やさしくあいさつをしました。
でも、ひょうにおあいできてうれしい人は、ひとりもいませんでした。
みんな、そっと、まわれ右して、にげていってしまいました。(角野栄子「ひょうのぼんやりおやすみをとる」)
まわりの人に避けられたり、無視されたりしたらつらく思うところだが、このひょうは気にしない。
ぼんやりした性格だから。
でも、ぼんやりはぼんやりですから、あまり気にならないのでした。
(角野栄子「ひょうのぼんやりおやすみをとる」)
※本記事は「公募ガイド2018年3月号」の記事を再掲載したものです。