第6回「小説でもどうぞ」選外佳作 今でも夢に見る/橘杏奈
第6回結果発表
課 題
恋
※応募数394編
選外佳作「今でも夢に見る」橘杏奈
「いつもKさんって、M次長に呼ばれると嬉しそうだよね。いつも見てるし」
「わかりやすいよね」
会社の先輩社員二人が噂話を始めた。
忘年会の二次会で、バレバレなイニシャルトークで盛り上がる。お約束だ。今日は、女子社員だけでなく、男性の課長と、係長と、合計五人で来ている。
「全然気付かなかった。そうなんだ」
係長が笑いながら言った。
「Kさんの気持ちわかります。私も、いつも高橋課長のことを見てます」
酔った勢いで、勝負に出てみた。
「え、俺?」
一瞬声が上ずった。いつもクールな課長も、いきなりの告白に、超絶驚いて、こちらを見た。
「はい。なので、今となりに座っているだけで、ドキドキしてます」
「ちょっと、大丈夫? 飲みすぎだよ」
流石に、先輩も驚いて、噂話どころではなくなってしまった。なにせ、課長も、私も、独身ではない。
「今日は缶コーヒーの日だなって、確認して、同じ物を飲んだりしてます」
「えっ、それって、どこまで許されるの? どうしちゃうの?」
興味津々に、私と、課長の顔を見ながら、係長がいじってきた。
その瞬間、課長がテーブルの下で、太ももをくっつけてきた。みんなには見えていない。
「スキンシップはダメです。もっと好きになってしまうので。不倫になっちゃう」
笑いながらそう言って、そっと太ももを離した。緊張した。てっきり、私の告白なんて、笑ってごまかされるか、引かれるかだと思ったら、そうでもなかったみたいだ。
その後のことは、あまり覚えていない。みんなに、いろいろ聞かれたことは覚えているが、内容までは忘れてしまった。
課長は真っ赤な顔(お酒が入ると、すぐに顔に出る人)で、ただ笑っていた気がする。
翌週は最悪だった。いつも見ているだけで幸せだった課長が、恥ずかしさで見られなくなってしまった。なんで言ってしまったのか自己嫌悪に陥る。きっと噂になっている。
そして、金曜日にご馳走になったお礼もしなければいけないのに、近づくことすらできなくなってしまった。流石に、何も言わないのはダメだろう。
夕方になって、缶コーヒーを持った課長が、私のデスクの端を、コツンとたたいた。十歩くらい後をついて、二階のフロアから、外階段で自動販売機のところまで下りて行った。
課長は、自動販売機の缶コーヒーを押して、私に近寄り、缶コーヒーを渡した。
「あんなこと言われたら、俺だってドキドキするだろ」
私は、缶コーヒーを受け取ると、ゆっくり後ずさりして、距離を取ろうとした。まともに顔を見ることができない。
「すみません。コーヒーありがとうございます。金曜日はご馳走様でした」
そう言って、急いで一階の扉を開けて、逃げようとした。
「意識しちゃうだろ」
私より先に、課長が背中で扉を抑えた。
「この後、仕事にならないですよ」
「俺だってそうだよ」
次の瞬間、二階の扉が開く音がした。私は、急いで二階に駆け上がった。課長もすぐ後ろを付いてきたけれど、扉を開けて、何事もなかったかのように席に着いた。
この日を境に、二メートル以内に近づくことはなくなり、会社のエントランスから入って、階段を上がると一番に見える、課長の後ろ姿だけが楽しみになった。
私には四年前に結婚した旦那がいるけれど、子供はいない。彼はとても誠実で、優しくて、
不満に思うことも、不安に思うこともない。大切なパートナーだ。
課長はいつも、「うちのカミさんが」と、話をする愛妻家だ。子供はいない。真面目で、喫煙者で、重低音の声がセクシーな人。私より一つ年下の、三十六歳。なぜ好きになったのかなんてわからない。
何もないまま、七年が過ぎた。飲み会や、
通りすがりに、話をする程度だった。
ただ一度だけ、ふたりで公園に寄った。私は、会社を辞めることを決意していた。
「ふたりで南の島にでも逃げようか」
課長が言った。
「冗談でもうれしいです。手ぐらい握ってください」
初めて手を繋いだ。南の島で、サトウキビ畑で働く話をしながら、駅までの道を歩いた。
その一年後に私は仕事を辞めた。
今は小学生の息子がいる。今でもたまに、南の島のサトウキビ畑を夢に見る。
(了)
「わかりやすいよね」
会社の先輩社員二人が噂話を始めた。
忘年会の二次会で、バレバレなイニシャルトークで盛り上がる。お約束だ。今日は、女子社員だけでなく、男性の課長と、係長と、合計五人で来ている。
「全然気付かなかった。そうなんだ」
係長が笑いながら言った。
「Kさんの気持ちわかります。私も、いつも高橋課長のことを見てます」
酔った勢いで、勝負に出てみた。
「え、俺?」
一瞬声が上ずった。いつもクールな課長も、いきなりの告白に、超絶驚いて、こちらを見た。
「はい。なので、今となりに座っているだけで、ドキドキしてます」
「ちょっと、大丈夫? 飲みすぎだよ」
流石に、先輩も驚いて、噂話どころではなくなってしまった。なにせ、課長も、私も、独身ではない。
「今日は缶コーヒーの日だなって、確認して、同じ物を飲んだりしてます」
「えっ、それって、どこまで許されるの? どうしちゃうの?」
興味津々に、私と、課長の顔を見ながら、係長がいじってきた。
その瞬間、課長がテーブルの下で、太ももをくっつけてきた。みんなには見えていない。
「スキンシップはダメです。もっと好きになってしまうので。不倫になっちゃう」
笑いながらそう言って、そっと太ももを離した。緊張した。てっきり、私の告白なんて、笑ってごまかされるか、引かれるかだと思ったら、そうでもなかったみたいだ。
その後のことは、あまり覚えていない。みんなに、いろいろ聞かれたことは覚えているが、内容までは忘れてしまった。
課長は真っ赤な顔(お酒が入ると、すぐに顔に出る人)で、ただ笑っていた気がする。
翌週は最悪だった。いつも見ているだけで幸せだった課長が、恥ずかしさで見られなくなってしまった。なんで言ってしまったのか自己嫌悪に陥る。きっと噂になっている。
そして、金曜日にご馳走になったお礼もしなければいけないのに、近づくことすらできなくなってしまった。流石に、何も言わないのはダメだろう。
夕方になって、缶コーヒーを持った課長が、私のデスクの端を、コツンとたたいた。十歩くらい後をついて、二階のフロアから、外階段で自動販売機のところまで下りて行った。
課長は、自動販売機の缶コーヒーを押して、私に近寄り、缶コーヒーを渡した。
「あんなこと言われたら、俺だってドキドキするだろ」
私は、缶コーヒーを受け取ると、ゆっくり後ずさりして、距離を取ろうとした。まともに顔を見ることができない。
「すみません。コーヒーありがとうございます。金曜日はご馳走様でした」
そう言って、急いで一階の扉を開けて、逃げようとした。
「意識しちゃうだろ」
私より先に、課長が背中で扉を抑えた。
「この後、仕事にならないですよ」
「俺だってそうだよ」
次の瞬間、二階の扉が開く音がした。私は、急いで二階に駆け上がった。課長もすぐ後ろを付いてきたけれど、扉を開けて、何事もなかったかのように席に着いた。
この日を境に、二メートル以内に近づくことはなくなり、会社のエントランスから入って、階段を上がると一番に見える、課長の後ろ姿だけが楽しみになった。
私には四年前に結婚した旦那がいるけれど、子供はいない。彼はとても誠実で、優しくて、
不満に思うことも、不安に思うこともない。大切なパートナーだ。
課長はいつも、「うちのカミさんが」と、話をする愛妻家だ。子供はいない。真面目で、喫煙者で、重低音の声がセクシーな人。私より一つ年下の、三十六歳。なぜ好きになったのかなんてわからない。
何もないまま、七年が過ぎた。飲み会や、
通りすがりに、話をする程度だった。
ただ一度だけ、ふたりで公園に寄った。私は、会社を辞めることを決意していた。
「ふたりで南の島にでも逃げようか」
課長が言った。
「冗談でもうれしいです。手ぐらい握ってください」
初めて手を繋いだ。南の島で、サトウキビ畑で働く話をしながら、駅までの道を歩いた。
その一年後に私は仕事を辞めた。
今は小学生の息子がいる。今でもたまに、南の島のサトウキビ畑を夢に見る。
(了)