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第6回「小説でもどうぞ」選外佳作 何人かの彼女/竹中優子

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第6回結果発表
課 題

※応募数394編
選外佳作「何人かの彼女」竹中優子
 二股かけられていて、その相手が相撲取りだったんよ、ただいま~って言って玄関入ったら彼女とその相手がふつうにお鍋を食べててね、おもて出ろやって言われてアパートの外の暗いところでさ、あれ、やられたよ、四股を踏むっていうんかねと話しながら吉野家の牛丼を兄は食べていた。毎日お弁当作ってくれてたのに、あれ何だったんだろう、仕事めっちゃ忙しいのに朝早く起きてさ、俺の好きなウィンナー絶対入れてくれるの、東京タワーで告白して、すぐほぼ同棲するようになって。遠距離恋愛の彼氏がいたって言ってはいたけど、あれ巡業のことやったんやね。
「お兄ちゃんがふられたの?」
 私は聞いた。一緒に吉野家にいたわけなので、もちろん私も牛丼を食べていた。たまには飯でも行こうとメールが来て、高田馬場駅で落ち合った。私は就職活動がやっと終わって、残り少ない大学生活最後に何かをしなければと焦りながらも無為に過ごしていた。兄も忙しいようで家に帰るのもほとんど深夜だと言っていた。
「いや、そういうことなら俺はいいやって彼氏が言って、今までありがとうなって彼女に言った後、結局すんなり帰っていった」
「え、かっこいい」
「そうやろ。そうなんよ。それで彼女が、私は嫌だ、絶対に別れないって泣き叫んでその彼氏を全力疾走で追いかけて行った」
 俺はお鍋がほかほかと湯気を立てる部屋にひとり取り残されたってわけ。兄はそう言って牛丼を一気に食べ終えた。
「その人、本当に相撲取りだったの?」思ったことを聞いた。
「どう見ても、相撲取りだったよ。浴衣にちょんまげで。名前聞いたから後でネットで検索したら、【絶対ゲイだと思う!】美形力士○○みたいな記事が出てきたから、何か人気もあるんやと思う」
 私は耐えきれず笑い出した。正直兄の話に吉野家の店内にいる人全員が釘つけになっていたと思う。兄は声がとても大きい。いつも人が振り返るけど、兄は全然気にしない。
「いや、続きがあるんよ」
 兄は言った。
「その全力疾走から全く彼女とは連絡を取らなかった。でも、一ヶ月後に電話があってね、結婚することにしたって」
「へえ、よかったじゃん」既にその美形力士のファンになっている私だ。
「聞いたら結婚相手がその力士じゃないんよ」
「え、誰なん?」
「まさとおるやろ。俺の友達、お前も会ったことあるよ」
「え、三股かけとったん?」
「三股で済むのかどうか、今だ謎」
 ふたりとも食べ終えて、お金を払って席を立った。吉野家を出たところで兄は大きな伸びをした。
「一ヶ月間、何があってそうなったんか俺には全く分からんのやけど、彼女はあのまま全力疾走し続けたんだろうってそう思うんよ。あの夜の前も、あの夜からもずっと全力で走っとったって」
「ただの嘘つきでしょ」
 私は言った。兄よ、人がいいにもほどがある。
「いやそれが人を好きになるってことだから。あるだろう、お前にもそういう経験が」
 私はちょっと考えて言った。
「あるよ、カフェの店員さん」
「なんでその人のこと好きになった?」
「いつも行くお店で、コーヒー飲んでいたら、後ろでね、少しだけ温かいメロンパンありますけど取り替えますかってレジで言っている子がいて」
 かわいい女の子だ。私の恋は片思い専門だ。
「何だそれ」
「いや、焼きたてじゃないのかよ、とかどこから少しだけ温かいメロンパン出てくるんだよとか思いながら振り返ったときには好きになってたよ」
 兄はぱかっと電球のひかりがつくように顔中で笑った。私は用もないのにそのコーヒーショップに三日に一度通っている。大学最後の貴重な日々を、何の意味もないことに費やしている。
「いいぞ、いいぞ、そういうやつだよ。お前も頑張れよ」
 兄は続けた。
「さっきの吉野家にいたサラリーマン全員に人を好きになった日のことを聞いて回ったら、なんかいいだろうな」
「いやその発想、私はぞっとするよ」
 そう言いながら、鼻で笑って、でも少しだけ楽しくなった。兄はローターリーの信号機を見上げた。「われわれも、全力疾走していこうな」
 じゃあ、またと言う兄に軽く手を振った。雑踏にすぐに紛れていく背中を少し見ていた。
(了)