第6回「小説でもどうぞ」佳作 面影/北島雅弘
第6回結果発表
課 題
恋
※応募数394編
「面影」北島雅弘
「泣いてる」と僕が言う。
「おかしいな。さっきミルクあげたばかりなのに。どこか調子が悪いのかな」
彼女は半身を起こして子供の様子をのぞきこむ。その隣で僕は寝ようと努めている。小さなベッドの中の子供はぐずるのをやめない。彼女は起き上がって、子供を抱き上げる。
「おむつ、替えたのか?」
目をつぶったまま僕は訊く。
「替えたばっかりだから濡れてないよ。当然」
「当然」という言葉の中に少し不満な調子が含まれている。
「今日は君の番だ。寝かせてもらうよ」
僕はそういって、頭から布団をかぶる。しばらく彼女は子供をあやしている。
「ねえ、この子なんか熱ない?」
「熱?」
その言葉を聞いて、しかたなく起き上がってタンスの中の体温計を取り出す。マシュマロのように柔らかくて小さな脇の下に挟む。しばらくして電子音が鳴る。熱というほどの熱はない。
「単にかまってほしいだけなんじゃないか」
「そうかな」
彼女の腕の中で、子供は少しおとなしくなる。しばらくしてすっかり静かに。
その時には僕はもう寝入っていて夢を見ている。三十分ほど眠った。また泣き声がする。僕は寝床の中で背を向ける。彼女が起き上がる。
「ねえ、やっぱり変よ」
時計を見ると、三時半だった。部屋の明かりをつけた。子供の肌着をめくって、背中を見る。それからお腹も。首筋、両腕。何もおかしいところはない。
「なんでもないじゃないか」
「外からではわからないところが悪いのかもしれない。ねえ、悪いとは思うんだけれど、あした中止できない? 医者へ連れて行ってほしいの」
「馬鹿なこと言うなよ。ずっと前から計画してるのに」
友人たち五人と遊びに行く約束だった。中には二年ぶりに会う奴もいる。三か月以上前から計画していた。抜けるわけにはいかない。
「一人でタクシーに乗っていくの?」
僕たちには車を持てるほど余裕はなかった。二十歳と十九歳だった。僕の心が少し揺らぐ。きっと何でもないと自分に言い聞かせる。母に抱かれている子供はまたおとなしくなる。
「ほら、何でもないじゃないか」
抱かれてしばらくすると静かになるが、ベッドの上に下ろそうとするとまた泣き出す。
「ねえ」
「うーん」と僕は唸る。
遊びに行きたい年頃だった。結婚してから友人たちとはどこにも行っていない。彼女は子供を抱いて僕の顔を見ている。不安そうな表情。
「わかった。一緒に行くよ。あいつらには何時間か遅れるから先に行っていてくれって連絡する」
彼女の顔が輝く。
「おかしいな。さっきミルクあげたばかりなのに。どこか調子が悪いのかな」
彼女は半身を起こして子供の様子をのぞきこむ。その隣で僕は寝ようと努めている。小さなベッドの中の子供はぐずるのをやめない。彼女は起き上がって、子供を抱き上げる。
「おむつ、替えたのか?」
目をつぶったまま僕は訊く。
「替えたばっかりだから濡れてないよ。当然」
「当然」という言葉の中に少し不満な調子が含まれている。
「今日は君の番だ。寝かせてもらうよ」
僕はそういって、頭から布団をかぶる。しばらく彼女は子供をあやしている。
「ねえ、この子なんか熱ない?」
「熱?」
その言葉を聞いて、しかたなく起き上がってタンスの中の体温計を取り出す。マシュマロのように柔らかくて小さな脇の下に挟む。しばらくして電子音が鳴る。熱というほどの熱はない。
「単にかまってほしいだけなんじゃないか」
「そうかな」
彼女の腕の中で、子供は少しおとなしくなる。しばらくしてすっかり静かに。
その時には僕はもう寝入っていて夢を見ている。三十分ほど眠った。また泣き声がする。僕は寝床の中で背を向ける。彼女が起き上がる。
「ねえ、やっぱり変よ」
時計を見ると、三時半だった。部屋の明かりをつけた。子供の肌着をめくって、背中を見る。それからお腹も。首筋、両腕。何もおかしいところはない。
「なんでもないじゃないか」
「外からではわからないところが悪いのかもしれない。ねえ、悪いとは思うんだけれど、あした中止できない? 医者へ連れて行ってほしいの」
「馬鹿なこと言うなよ。ずっと前から計画してるのに」
友人たち五人と遊びに行く約束だった。中には二年ぶりに会う奴もいる。三か月以上前から計画していた。抜けるわけにはいかない。
「一人でタクシーに乗っていくの?」
僕たちには車を持てるほど余裕はなかった。二十歳と十九歳だった。僕の心が少し揺らぐ。きっと何でもないと自分に言い聞かせる。母に抱かれている子供はまたおとなしくなる。
「ほら、何でもないじゃないか」
抱かれてしばらくすると静かになるが、ベッドの上に下ろそうとするとまた泣き出す。
「ねえ」
「うーん」と僕は唸る。
遊びに行きたい年頃だった。結婚してから友人たちとはどこにも行っていない。彼女は子供を抱いて僕の顔を見ている。不安そうな表情。
「わかった。一緒に行くよ。あいつらには何時間か遅れるから先に行っていてくれって連絡する」
彼女の顔が輝く。
「それで君を医者に連れて行ったらね。疳の虫だって。笑えるだろ。もっとも疳の虫でひきつけを起こす子もあるらしいから油断はできないんだけれどね」
「友達の方は?」
「その日は行かなかった。診療が終わったのが昼過ぎだったからね。あいつらに会ったのはそれから二年後だ」
「母さんの葬式の時?」
「そう。あれからもう二十五年。今度は君が母になる番だとはね」
「苦労したでしょ」
「苦労なんかしてないよ」
「再婚とか、考えたことなかったの?」
「ないね」
「わたしがいたから?」
「ぜんぜん違うね。母さんにずっと恋をしていたからさ。今でもそれは変わらない。君のせいじゃないよ。断っておくけれど」
「父さん」
「ん?」
「ありがとね」
「熱あるのか?」
「かもね。じゃあ、もうそろそろ行かなきゃ」
「僕はここでもうちょっとのんびりしていくよ」
彼女は席を立つ。君の背中が開いたドアから外へ出ていく。お腹に子供ができてからの君の顔。それは彼女に生き写しで、君に会うたびに僕は胸が高鳴る思いがするのだ。
(了)
「友達の方は?」
「その日は行かなかった。診療が終わったのが昼過ぎだったからね。あいつらに会ったのはそれから二年後だ」
「母さんの葬式の時?」
「そう。あれからもう二十五年。今度は君が母になる番だとはね」
「苦労したでしょ」
「苦労なんかしてないよ」
「再婚とか、考えたことなかったの?」
「ないね」
「わたしがいたから?」
「ぜんぜん違うね。母さんにずっと恋をしていたからさ。今でもそれは変わらない。君のせいじゃないよ。断っておくけれど」
「父さん」
「ん?」
「ありがとね」
「熱あるのか?」
「かもね。じゃあ、もうそろそろ行かなきゃ」
「僕はここでもうちょっとのんびりしていくよ」
彼女は席を立つ。君の背中が開いたドアから外へ出ていく。お腹に子供ができてからの君の顔。それは彼女に生き写しで、君に会うたびに僕は胸が高鳴る思いがするのだ。
(了)