第6回「小説でもどうぞ」佳作 ハンカチ落としましたよ/村木志乃介
第6回結果発表
課 題
恋
※応募数394編
「ハンカチ落としましたよ」村木志乃介
休日の朝。通勤に使ういつもの道をぶらぶら駅に向かっていると、目の前をハンカチのような布切れが横切った。風に舞って歩道を軽快に踊る。紅白の模様に目がチカチカした。
やがてそれは歩道の真ん中で動きを止めた。
小さな雑貨屋の前だ。そのまま素通りしようかと思ったが立ち止まる。
素早くしゃがむと拾った。まるで猫のように。なんだろう?
布切れはハンカチだった。絞るように丸められ、まだ湿っているところからして、きっと洗濯が終わり、干している最中に落ちたのだろう。
少しだけ広げてみる。白地に鮮やかな紅色のツバキのような花柄が刺繍されている。
どこから飛んできたのか。首をひねる。小さな雑貨屋がある。両隣に民家が並ぶが少し離れている。住居も兼ねた雑貨屋の庭には洗濯物が干されている。つまり答えはひとつ。雑貨屋だ。
店の前に二台分の駐車場がある。その駐車場を囲むようにプランターが並んでいて、朝夕に若い女性が水をまいているのを僕は知っている。この家の娘らしく、よく店を手伝っている。僕はその女性のことが気になっていた。きっと彼女が落としたのだ。直感でそう思った。迷わず入口のガラス扉を押し開けた。
カランカランと客の訪れを知らせる鈴が鳴ると奥のほうから女性のよく通る声がした。
赤色のエプロンで手を拭いながら彼女は出てきた。「いらっしゃいませ」と僕を見て微笑む。毎朝、店の前を通る僕のことを彼女も覚えてくれているのだろうか。胸の高鳴りを感じながら、僕もぎこちなく微笑み返す。
僕はハンカチを握り締めた。どきどきして手のひらが汗ばんでいく。早くハンカチを渡したいのに喉がつまったみたいに声が出ない。
「なにかお探しですか。よろしかったらお手伝いしますよ」
明るい声だった。きっと性格もそうなんだろうなと想像する。
店の前にハンカチが落ちてましたよ。僕は爽やかな感じで彼女にそうやって言うところを想像する。すると彼女はこう答えるはずだ。そのハンカチ、とても気に入ってたんです。拾ってくれてありがとうございました。
そうして彼女は頬を紅潮させて僕をじっと見つめる。ここまでくるとあとはトントン拍子だ。自己紹介して連絡先を交換して……。
「あのちょっと。お客さん?」
彼女が僕をいぶかしげな目で見ていた。
モタモタするうちにハンカチを差し出すタイミングを逸した。「ハ、ハンカチを……」もじもじしながら手のひらを彼女のほうに突き出そうと試みる。こぶしは握りしめたまま肩が固まった。まるで動こうとしない。
「ハンカチですね。どうぞ、こちらに」
彼女の笑顔が弾けた。僕はぎこちなく笑って答えた。は、はい。
僕はこぶしを握りしめたまま、彼女についてハンカチが並ぶ棚に案内された。
見やすいように広げて並べられた中に僕が手にしている花柄のものはない。
店には置いていない柄なのか、それとも売れ残ったものを彼女が使っているのか、それはわからない。彼女の趣味なのかもしれない。それなら、と思い切って聞いてみる。
「あ、赤い花柄のものとかありますか?」
「花柄は置いてません。季節によって変えてるんで。いまは雪ダルマとか白を基調にした薄い色を使った柄ものを置いてるんですよ」
「そうですか……」うまいタイミングが見いだせずに僕は握りしめたこぶしを今度こそ突き出した。
これ。きれいな花柄ですね。あなたのハンカチでしょ? はいどうぞ。軽くそう言いたいのに、口の中が乾いてうまく言葉が出てこない。「こ、これっ……」とだけ言って手のひらに載ったハンカチを見せた。
彼女がきょとんと首をかしげる。
僕はハンカチを両手につまむと広げて見せた。「これ……はいっ」考えていたことよりずいぶんすっ飛ばした。けど言えた。
「え、なに? これ、はい……て?」彼女が大きな目をいっぱいに広げる。はいて?
「いや、あの。こ、これ。あ、あなたのハ、ハ、ハッ、はぁ?」僕の目は点になった。口は「ハ」のかたちのまま固まった。
ハンカチと思ったそれはハンカチじゃない。女性ものの下着だった。花柄の刺繍はツバキで間違いなかったけれど、真っ赤なツバキの花びらが純白の下着の中央に大きく一輪咲き誇っていた。
「ヘッ、ヘンタイ!」彼女の悲鳴のような絶叫が僕の鼓膜を貫いた。
僕は回れ右をすると一目散に店を出た。
恋は破れた。まだ始まってもなかったけど。涙がちょちょ切れる。そうして走りながらも手の中にある布切れが彼女のものなのか、性懲りもなく気になっていた。
(了)
やがてそれは歩道の真ん中で動きを止めた。
小さな雑貨屋の前だ。そのまま素通りしようかと思ったが立ち止まる。
素早くしゃがむと拾った。まるで猫のように。なんだろう?
布切れはハンカチだった。絞るように丸められ、まだ湿っているところからして、きっと洗濯が終わり、干している最中に落ちたのだろう。
少しだけ広げてみる。白地に鮮やかな紅色のツバキのような花柄が刺繍されている。
どこから飛んできたのか。首をひねる。小さな雑貨屋がある。両隣に民家が並ぶが少し離れている。住居も兼ねた雑貨屋の庭には洗濯物が干されている。つまり答えはひとつ。雑貨屋だ。
店の前に二台分の駐車場がある。その駐車場を囲むようにプランターが並んでいて、朝夕に若い女性が水をまいているのを僕は知っている。この家の娘らしく、よく店を手伝っている。僕はその女性のことが気になっていた。きっと彼女が落としたのだ。直感でそう思った。迷わず入口のガラス扉を押し開けた。
カランカランと客の訪れを知らせる鈴が鳴ると奥のほうから女性のよく通る声がした。
赤色のエプロンで手を拭いながら彼女は出てきた。「いらっしゃいませ」と僕を見て微笑む。毎朝、店の前を通る僕のことを彼女も覚えてくれているのだろうか。胸の高鳴りを感じながら、僕もぎこちなく微笑み返す。
僕はハンカチを握り締めた。どきどきして手のひらが汗ばんでいく。早くハンカチを渡したいのに喉がつまったみたいに声が出ない。
「なにかお探しですか。よろしかったらお手伝いしますよ」
明るい声だった。きっと性格もそうなんだろうなと想像する。
店の前にハンカチが落ちてましたよ。僕は爽やかな感じで彼女にそうやって言うところを想像する。すると彼女はこう答えるはずだ。そのハンカチ、とても気に入ってたんです。拾ってくれてありがとうございました。
そうして彼女は頬を紅潮させて僕をじっと見つめる。ここまでくるとあとはトントン拍子だ。自己紹介して連絡先を交換して……。
「あのちょっと。お客さん?」
彼女が僕をいぶかしげな目で見ていた。
モタモタするうちにハンカチを差し出すタイミングを逸した。「ハ、ハンカチを……」もじもじしながら手のひらを彼女のほうに突き出そうと試みる。こぶしは握りしめたまま肩が固まった。まるで動こうとしない。
「ハンカチですね。どうぞ、こちらに」
彼女の笑顔が弾けた。僕はぎこちなく笑って答えた。は、はい。
僕はこぶしを握りしめたまま、彼女についてハンカチが並ぶ棚に案内された。
見やすいように広げて並べられた中に僕が手にしている花柄のものはない。
店には置いていない柄なのか、それとも売れ残ったものを彼女が使っているのか、それはわからない。彼女の趣味なのかもしれない。それなら、と思い切って聞いてみる。
「あ、赤い花柄のものとかありますか?」
「花柄は置いてません。季節によって変えてるんで。いまは雪ダルマとか白を基調にした薄い色を使った柄ものを置いてるんですよ」
「そうですか……」うまいタイミングが見いだせずに僕は握りしめたこぶしを今度こそ突き出した。
これ。きれいな花柄ですね。あなたのハンカチでしょ? はいどうぞ。軽くそう言いたいのに、口の中が乾いてうまく言葉が出てこない。「こ、これっ……」とだけ言って手のひらに載ったハンカチを見せた。
彼女がきょとんと首をかしげる。
僕はハンカチを両手につまむと広げて見せた。「これ……はいっ」考えていたことよりずいぶんすっ飛ばした。けど言えた。
「え、なに? これ、はい……て?」彼女が大きな目をいっぱいに広げる。はいて?
「いや、あの。こ、これ。あ、あなたのハ、ハ、ハッ、はぁ?」僕の目は点になった。口は「ハ」のかたちのまま固まった。
ハンカチと思ったそれはハンカチじゃない。女性ものの下着だった。花柄の刺繍はツバキで間違いなかったけれど、真っ赤なツバキの花びらが純白の下着の中央に大きく一輪咲き誇っていた。
「ヘッ、ヘンタイ!」彼女の悲鳴のような絶叫が僕の鼓膜を貫いた。
僕は回れ右をすると一目散に店を出た。
恋は破れた。まだ始まってもなかったけど。涙がちょちょ切れる。そうして走りながらも手の中にある布切れが彼女のものなのか、性懲りもなく気になっていた。
(了)